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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2012.08.16

ペリーと接待菓子

『友鏡』 獅子と牡丹を表裏に配した虎屋の干菓子。
「石橋」を題材にしており、木型には天保15年(1844)の年紀がある。

日米和親条約を締結

米国海軍軍人、マシュー・C・ペリー(Matthew Calbraith Perry・1794~1858)は、 嘉永6年(1853)浦賀沖に黒船を率いて来航、日本に開国を求め、翌年、日米和親条約を締結した人物です。 ペリー艦隊の軍事的威圧があったものの、交渉は平和裡に進み、幕府側は譲歩するかたちで合意に達しました。 この間、幕府はペリー一行を何度か日本料理でもてなしており、たとえば条約調印前の3月8日(旧暦2月10日)、 横浜で行なわれた饗宴については献立記録が残っています。これは伝統的な形式による本膳料理で、鯛鰭肉の吸い物や、 結び昆布の干肴、豚の煮物、平目の刺身、鮑や貝の膾(なます)など、ここでは書ききれないほどの様々な食材を使った 贅沢なものでした。料理は江戸日本橋に店を構えた有名な料亭、百川(ももかわ)に依頼しており、幕府は国の威厳を保とうと、 彩りも細工も美しい日本料理を用意したことが想像できます。

もてなしに使われた菓子餅

菓子についても「四拾五匁形 一、海老糖 一、白石橋香 一、粕庭羅」とみえます。四十五匁は重さと考えられ、 計算すると約170gになり、かなり大ぶりです。詳しい記述がなく、意匠は菓銘や江戸時代の菓子絵図史料から 想像するしかないのですが、「海老糖」は海老の形、あるいは紅白の縞模様の有平糖(あるへいとう)かもしれません。 次の「白石橋香」(しろしゃっきょうこう)は、能の演目「石橋」にちなんだもので、白い落雁のような干菓子と思われます。 咲き匂う牡丹の間を獅子が舞う内容から、牡丹や獅子をモチーフにしていたのではないでしょうか。そして最後の粕庭羅、 つまりカステラは、異国人の嗜好を思っての配慮でしょう。なお記述から、カステラは横浜で作らせたもので、 ほかの菓子は江戸本町一丁目の鈴木屋清五郎(幕府御用を勤めた鈴木越後)に依頼したことがわかります。
残念ながら当日のペリーの感想はありませんが、彼の日記には、接待される日本料理全般について 「…十分なものとは言えず、むしろご馳走も、料理法も、いつもまったく同じ性質のものであった。 全体からみて、美食の点においては、日本人やシナ人よりも琉球人の方に、私は決定的に軍配を挙げるのである」と書かれており、 日本のものはお気に召さなかったようです。日本人から見れば、高級食材を使った豪華な料理ですが、細工に凝った 小さなものばかりで肉の量も少なく、味も淡白で、ペリーの食欲を満たさなかったのかもしれません。 ところで菓子は300人分も用意されたとのこと。アメリカ人のなかには、和菓子の美しさや味わいに興味を持った人もいたのではと思いたくなります。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

 

参考文献:

『大日本古文書』 幕末外国関係文書之五 東京大学史料編纂所 1984年
黒岩比佐子『歴史のかげにグルメあり』文春新書 2008年
金井圓訳『ペリー日本遠征日記』新異国叢書 第Ⅱ輯1 雄松堂出版 1985年

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