歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2012.06.18

滝沢馬琴と汁粉

冷し汁粉

馬琴の手紙

『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)で知られる江戸時代後期の読本作家、曲亭(滝沢)馬琴(1767~1848)。
今回は馬琴が小津桂窓(おづけいそう)にあてた手紙を読んでみたいと思います。
桂窓は松阪の豪商で、自身の百数十冊に及ぶ詩歌や紀行の稿本を残したほか、貴重書を多数含む数万巻もの書籍を蒐集したといわれます。
馬琴との交流が深く、馬琴の自筆本・旧蔵本なども所蔵しました。

汁粉屋の流行

天保6年(1835)3月28日、馬琴の長い手紙は、汁粉の話で締めくくられています。「木挽丁橋前の汁粉もち、流行のよし。その品名目、十二ヶ月ニて十二種あり。十二わん不残たべ候へバ、代七百文のよし」と書き出し、「浅草大おん寺町田川屋の隣」にできた店が、やはり流行っていること、日本橋の「石町」には五節句を表わす五種類の汁粉があるが評判が悪いことを記しています。江戸時代後期、屋台の汁粉は1椀16文が相場だったとも言われますので、12椀で700文(1椀約58文)という十二ヶ月の汁粉は、桁違いな高級品だったことになります。ちなみに次に書かれている「浅草大おん寺町田川屋」は有名な高級料亭でしたが、隣の汁粉屋でも料理を出したそうです。
馬琴は続けて、自分の子どもの頃に比べると天と地ほどの違いであるとし、贅沢を追い求めて人の心がおごっている、「一人として冥加をおそるゝものもなきや(あまりにも幸せ過ぎるので天罰がくだるのではと、恐ろしく思う者もいないのか)」と、嘆いています。これは高級汁粉の存在をいったものでしょうか。それともいくつもの汁粉屋が店を構え、それぞれに流行するような状況を指した言葉なのでしょうか。
昔も今も、甘いものを楽しめる平和な時代がありがたいことは間違いありませんが、飽食の時代とも呼ばれる現代の日本を馬琴が見たら何と書くことか、読んでみたい気もしますね。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

 

参考文献:

『馬琴書簡集成』4巻 八木書店 2003年

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