歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2012.03.16

鏑木清方とよかよか飴売り

よかよか飴売り
(平出鏗二郎『東京風俗志』より)

市井の人々を描いて

鏑木清方(かぶらききよかた・1878~1972)は、父の勧めで絵を学び、16歳の若さで挿絵画家としてデビュー、泉鏡花などの小説の挿絵を手がけ、のちに日本画を描くようになりました。彼が得意としたのは風俗画や美人画で、江戸情緒漂う画風は多くの人々を魅了しました。

随筆の中の菓子

また、清方は文才にも恵まれ、たくさんの随筆を残しています。『こしかたの記』は、彼の前半生にあたる明治時代のエピソードを綴ったもので、画業のほか彼が暮らしていた京橋や湯島での様子などを記しています。文中には、修業時代に三時のおやつに出された焼芋のほか、版画の摺師(すりし)が手土産に持ってきた塩煎餅など私たちに馴染みのある菓子の名が多く見られます。また、よかよか飴売りのように菓子を売る人たちについても書いています。

飴売りは子どもたちの人気者

よかよか飴売りは提灯などを立てた盤台(はんだい)を頭に載せ、飴を売って歌や踊りを見せました。「よかよか飴」とは「良い飴」を意味するともいわれます。『こしかたの記』では飴について触れていませんが、晒(さら)し飴のようなものだったと思われます。
清方がよかよか飴売りを見たのは、子どもの頃住んでいた京橋の大根河岸でした。当時は東京の町はずれであればどこでも見られたようで「ぞろぞろ子供や守(もり)っ子が附いて歩く一組を見かけぬ日は稀れであった。よかよか飴の後(あと)を追って迷子になったり、子守娘がそのまま帰って来ないなどの噂はたびたび聞えた。」などと書いています。迷子や行方知れずとは困った話ですが、それだけたくさんの子どもが飴売りについていったということなのでしょう。
大根河岸のよかよか飴売りは、名優で美男だった歌舞伎の五代目坂東彦三郎に似ていた、と清方は書いています。飴のおいしさはもちろんですが、飴売りの演技や容姿が買い手の心を掴む上で大事だったということがうかがえます。

※ かつて京橋川(現在は埋め立てられている)にあった青物市場のこと。現中央区京橋から八重洲付近。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

鏑木清方 『こしかたの記』 中央公論社  2008年

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