歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2012.02.16

屋代弘賢と雛菓子

「源氏十二ヶ月之内 弥生」(部分)
緑白緑の菱餅が見える。

博覧強記の国文学者

屋代弘賢(やしろひろかた・1758~1841)は江戸時代の国学者です。江戸・神田明神下の幕臣の家に生まれ、幕府の書役、右筆となり、師の塙保己一(はなわほきいち)を助け、 『群書類従』の編纂に携わったほか、『古今要覧稿』を編集したことで知られます。注目したいのは、弘賢が中心になり、 文化10年(1813)頃から数年かけて各地に対して行なった風俗習慣に関する調査です。 正月や端午の節句といった各月の年中行事などについて、131条の質問からなるもので、『古今要覧稿』の資料蒐集の一助とする目的があったともいわれます。

雛菓子についての質問

たとえば、雛祭の菓子については、「草餅に母子草(春の七草の一つ、ごぎょう)を使うか」、 「草餅を菱形に切ったものを用意するか、他の例もあるか」といった内容の問いがあります。本来、3月3日(上巳の節句)は邪気払いの日で、 平安時代の頃より、草餅を食べる習いがありました。もともと母子草で作りましたが、江戸時代には蓬が一般的で、雛段に飾る菱餅も草餅を使い、 白と緑の組み合わせが主流でした。弘賢らは、母子草から蓬にかわったことを文献上知っていましたが、菱餅も含めて、実際の習俗はどうなのか、 各地で違いがあるのか、確かめたかったのでしょう。結果として、母子草を使わない地域が多い中、出羽国秋田領や丹後国(京都府)峯山領などでは蓬同様、 使用していること、備後国(広島県)深津郡本庄村では、昔は母子草で今は蓬にかわったことなどがわかりました。また、蓬入りの菱餅が、遠く阿波国(徳島県) でも作られていること、紀伊国和歌山では、青(緑)黄白の菱餅を用意することなどが判明します。
質問事項が多く、書類作成に手間がかかることもあってか、弘賢が期待したほど返事はこなかったようです。しかし、現存する20通あまりの回答は、 「風俗問状答」(諸国風俗問状答)としてまとまり、当時の習俗を知る貴重な史料となっています。質問の仕方や答えの書き方などに、不備や弱点があるという指摘も されますが、アンケート形式で各地の実態を調査しようとした弘賢らの試みは意義深く、食文化研究においても多大な業績を残したといえるでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

平山敏治郎ほか編「諸国風俗問状答」『日本庶民生活史料集成』 第九巻
風俗三一書房 1969年

関係コラム「和泉式部と母子餅

虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記「歴史上の人物と和菓子」内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。

著作権について


トップへ戻る