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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2012.01.16

武野紹鴎が食べた半分の饅頭

若き茶人 紹鴎

武野紹鴎(たけのじょうおう・1502~1555)は大黒庵と号し、実家は皮屋という屋号を名乗った武器商人だったといわれています。武野家は堺で富裕な家として知られ、若き日の紹鴎は京都にのぼり、歌学の権威であった三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に学び、連歌に没頭しました。また同時期に茶の湯も学んでいます。一説には近所の村田宗珠(そうしゅ)について侘び茶を学んだともいわれています。とはいえ若い頃の紹鴎は、侘び茶とは程遠く、財力に任せ、唐物などの名物道具を買い集め、茶の湯を楽しんでいました。
丁度、30歳の頃、紹鴎は奈良の漆商の松屋久政を訪ね、名物の唐絵を拝見した帰りに、連歌の影響を受け、枯淡の境地に興味を持ったのか、伝手を頼って、侘び茶人として知られた宗清(そうせい)を訪ねました。宗清は毎朝、畑仕事の後、身を清め、好みの素朴な器で茶の湯を楽しんでいました。誰彼となく、訪ねるものに隔てなく茶を振舞うことから、人々から心の清い侘びた茶人として慕われていました。

饅頭を二つに割る

宗清は、紹鴎が一人で訪ねてくると思い、二人で食べようと大饅頭を二つ用意しました。ところが紹鴎は従者とともに彼を訪ね、二人で席入りしてしまいます。予想に反して客人が二人に増えてしまいましたが、宗清は動ずることなく、二つの大饅頭を新しい杉の八寸盆に盛り、これを持ち出します。一端、客側にこれを置きますが、再び自分の方に八寸盆を引き寄せ、一つ手に取り、これを二つに割り、盆に戻して「どうぞ」と勧めました。それとほぼ同時に、宗清は手前の饅頭をおもむろに取り上げるや否や、「お相伴」といって、丸ごと一個、むしゃむしゃと食べはじめました。こうして客の二人は、八寸盆に残された二つ割られた饅頭をそれぞれ頂きました。
紹鴎は、誰の眼も気にせず、饅頭一個を食べてしまった宗清の自然な振る舞いを見て、迷いを脱し、真理を悟るという意味での「覚悟」を悟り、侘び茶の世界を再認識したのかもしれません。その日は時を忘れて談笑しました。その後、紹鴎は宗清を心の師と仰ぎ、堺に招いて親しく交わったということです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

桑田忠親『茶道の逸話』

『青雪応宜集』

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