歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2011.09.16

徳川家茂と葛水・黄金水の砂糖水

『四時交加』…江戸の水売り。砂糖や白玉入りの
水もあり暑い夏、涼をもとめる庶民にも人気があった。

14代将軍徳川家茂

徳川家茂(とくがわいえもち・1846~66)は、御三家紀州和歌山藩主徳川斉順(なりゆき)の長子として誕生(幼名菊千代、 元服して慶福:よしとみ)、わずか3歳で和歌山藩主となります。その4年後にペリーが来航、幕末の動乱期をむかえます。 当時の将軍家定は病弱で、後継者の決定が急がれていました。幕府内や諸大名は、それぞれ一橋慶喜と徳川慶福の支持派に 分かれ激しく争い、安政の大獄へとつながります。
安政5年(1858)6月、慶福が将軍継嗣と決定、7月の家定の死後、家茂と改名して将軍となりました。幕臣たちは温和で実直な性格の家茂を慕っていたと言われています。しかし、開国・攘夷問題をはじめ幕府をめぐる政治状況は厳しくなる一方で、家茂は何度か上洛して問題の解決にあたっています。

将軍からいただいた清涼飲料水

慶応元年(1865)閏5月には、長州藩処分のため、家茂は京都を経て大坂城に入って陣頭指揮を執ります。大坂城での家茂は、 禁裏や公家、諸大名などからの到来品を家臣達に分け与えるなど、細やかな心配りを見せます。
6月21日、一橋慶喜が京都から 大坂に到着しました。直ちに登城するであろう慶喜のために葛水を用意させています。葛水とは、葛粉と砂糖を湯で溶いて 冷やした夏の飲み物で、別名「葛砂糖」とも呼ばれ、夏の季語にもなっています。この年の6月21日は新暦に直せば8月12日に あたり、暑い中、大坂を訪れた慶喜へのねぎらいが感じられます。ところが慶喜は姿を見せず、家茂は用意した葛水を家臣達に あたえました。また7月3日には乗馬を行なっていますが、「残暑強候ニ付」として馬場の役人や手綱を引く者にまで葛水を下されました。 その後も度々葛水が家臣達にあたえられています。
葛水だけでなく砂糖水の記録もあります。当時は長州藩征討をめぐって緊張した時期であり、大坂城内でも大砲や鉄砲の訓練や剣術の試合が度々行なわれていましたが、そうした折には砂糖水が下されました。冷たい水に砂糖を混ぜた飲み物で、 なかには「黄金水(おうごんすい)」で作った砂糖水もありました。黄金水とは黄金をきれいな水に浸して、火にかけ金を溶かしだしたという水で、霊薬とされていました。暑い中、訓練や剣術の試合に励む家臣達の身を思ってのことで、家茂の人柄が偲ばれます。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『昭徳院殿御在坂日次記』(『続徳川実紀』第四篇)

関係コラム:

徳川家茂-虎屋の将軍家御用と摺針餅
和宮と月見饅

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