歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2011.04.15

西洞院時慶と嘉祥のきんとん

きんとんの絵図「御菓子之畫圖」(1695)より

西洞院家を再興する

西洞院時慶(にしのとういんときよし・1552~1639)は、天正3年(1575)に9年間途絶えていた西洞院家を継ぎ、再興しました。和歌に秀で、古典の書写などに務めたほか、元和8年(1622)の徳川家康7回忌には天皇の使者として日光に下向しています。医学に関心があり、晩年は茶の湯にも傾倒するなど多才な人物で、彼の日記『時慶卿記(時慶記)』は安土桃山時代~江戸時代初期にかけての政治や文化、行事などを含めた公家社会の生活の様子を示す貴重な史料となっています。

朝廷の嘉祥(かじょう)

嘉祥(嘉定)は6月16日に菓子を食べて厄を払う行事で、室町時代には朝廷、武家ともに行なわれていました。江戸時代の幕府の盛大な嘉祥についてはすでにご紹介しましたが(「徳川家康と嘉祥」参照)、朝廷では天皇から下賜された米を、公家らが菓子に替えて献上するなどしていました。
時慶の日記から嘉祥の様子をうかがうと、事前に知らせがあって嘉祥料の米をもらい、その代わりなのか、当日は酒や肴を御所に持参して宴会をしたようです。酒好きの時慶は飲みすぎて酔いつぶれてしまうこともありました。天皇の参加はまちまちで、年によっては公家らが呼ばれず米が渡されなかったり、将軍の参内が予定されていたため中止になったりした例も見られます。

嘉祥(かじょう)のきんとん

嘉祥には天皇の生母などからも米が下賜され、親類縁者や公家同士でも進物のやりとりがありました。『時慶卿記』には酒や鮓(すし)のほか、饅頭や「金団(きんとん)」といった菓子の名が見え、贈り先によって品物を変えています。
このうちきんとんは、現在、餡をそぼろ状にして餡玉につけた生菓子として知られますが、古くは砂糖を包んだ丸い餅(団子)だったようです(『日葡辞書(にっぽじしょ)』1603ほか)。虎屋の菓子絵図帳「御菓子之畫圖(おかしのえず)」(1695)にも、黄色く丸い絵が描かれています。後に団子に黄粉や胡麻をかけるようになり、江戸時代後期にはそぼろ状のきんとんが登場します。
時慶が用意したのは団子に近いものと考えられます。慶長10年(1605)の嘉祥では、物忌(ものいみ)のためか、砂糖を加えなかったとあるので、例年は甘い菓子であったようです。西洞院家から毎年届けられる心づくしの砂糖入り菓子を、親類縁者や友人知人も楽しみにしていたことでしょう。

※ 不幸などにより、一定期間、特定の物事を避けること。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

村山修一『安土桃山時代の公家と京都』塙書房 2009年

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