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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2010.11.16

岩原謙庵とこぼれる菓子

謙庵こぼれる菓子

茶人 謙庵

岩原謙三(1863~1936)は三井物産のロンドン、ニューヨークの支店長を経て、帰国後は重役を勤めた人物です。その後、芝浦製作所(現東芝の前身)の社長、晩年は日本放送協会初代会長に就任し、放送業界の発展に寄与しました。
彼は会社の先輩である益田鈍翁(どんのう)の勧めで茶の道に入りました。謙三の名前から謙庵と名乗るようになりますが、拝見中に道具を壊したり、帽子を被ったまま正客に懐石を持ち出したり、席主として挨拶していた時に正客の頭に狆が飛びついたりと、珍事を起こすことから、別名、粗忽(素骨)庵、狆(珍、椿)庵などと仲間から揶揄されていました。また新奇なことをすることでも、話題の尽きない茶人でした。
例えば、明治40年(1907)3月、品川御殿山の益田邸内での茶会、第12回大師会でのこと。当然、謙庵と相談尽くのことでしょう、夫人による「米国仕込みのチョコレートの手前」が行われました。「味(あぢわひ)特(こと)に深く、来賓一同の喝采盛んなり…」と非常に好評でした。このチョコレートとはココアのこと。抹茶ならぬココアを熱湯でよく練って牛乳でのばすさまは、濃茶を練り、湯を差して硬さを調整するさまに似ています。

こぼれる菓子

明治44年(1911)10月、茶人野崎幻庵に「奇抜なる茶会」といわれた会が催されます。懐石には向付に花かつおが使われた以外、動物性のものはなく、首尾一貫した精進物。この当時の懐石の多くは、贅を尽くした山海の珍味を集めたもので、精進物といえば、年忌法要などの不祝儀、寺院での食事を連想しました。ですから、名残の秋の風情を楽しみながら、健康に良い素材に手をかけて作る鈍翁の長寿法に倣った菜食派の趣向は極めて異例だったのです。
菓子は時候の素材を活かし、小栗3個をもろこし餡で包んで、黄粉をふりかけた、夫人手製の素朴ものだったようです。ところが「頗(すこぶ)る珍菓也」とあるように、食べてみると「正客鈍翁を始め一同謂い合せたるが如く、ボロボロと口より栗を喰ひ溢(こぼ)したる…」というもの。恐らく席中の一同、互いの有様を見て、笑みをこぼしたに違いありません。茶事では食べにくい菓子は避けるものですが、茶目っ気のある亭主の謙庵、慌てる客たちの姿を見るために仕組んだ悪戯だったのかもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

野崎幻庵 『茶会漫録』第一集、第三集 中外新報社 1912年
高橋箒庵 『昭和茶道記』二  淡交社 2002年

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