歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2010.10.16

モースと文字焼

文字焼

大森貝塚の発見で名高いエドワード・モース(1838~1925)については、以前にもとりあげました。明治初期に来日した際のことを記した『日本その日その日』(平凡社東洋文庫)の中から、今回は文字焼(もじやき)をご紹介いたしましょう。

「文字焼」というお菓子

文字焼はどんどん焼、ぼったら焼などとも呼ばれ、鉄板の上に小麦粉などの生地で字や絵を書いて焼き上げる、江戸時代から見られるお菓子です。「杓子(しゃくし)程筆では書けぬ文字焼屋」などの川柳があるように、飴細工や新粉細工同様、その技術力はなかなかのものだったようです。明治時代には神田に、まるで写生画のような文字焼を焼く女性名人がいた、などの記録も残っています。
一方、駄菓子屋の店先などでは、客である子ども達に焼かせることが多かったようです。

モースの記録

モースが記録しているのは、寺へ通じる道の途中に立った屋台の文字焼屋です(同書では「戸外パン焼場」となっていますが)。子どもたちはコップに入った、米の粉(あるいは小麦粉)、鶏卵、砂糖を混ぜた生地を買って、巨大な傘の下に置かれた「ストーブ」で、それを焼くのです。ブリキのさじを使い「少しずつストーブの上にひろげて料理し、出来上ると掻き取って自分が食べたり、小さな友人達にやったり、背中にくっついている赤坊に食わせたり」するのはどんなに楽しかったことでしょう。

東洋も西洋も

モースは、自国での経験を振り返り、「薑(しょうが)パンかお菓子をつくった後の容器から、ナイフで生麪(なまこ)の幾滴かをすくい出し、それを熱いストーヴの上に押しつけて、小さなお菓子をつくることの愉快さを思い出す人は、これ等の日本人の子供達のよろこびようを心から理解することが出来るであろう」と書いています。
子どもとお菓子との関わりが、国や時代を問わないことが感じられます。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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