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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2010.06.16

大和田建樹と故郷の菓子

大分県宇佐市のめがね菓子

鉄道唱歌の父

大和田建樹(おおわだたけき・1857~1910)は、蜜柑の産地として名高い愛媛県宇和島に生まれました。東京女子高等学校の教師などを務めた後は、文筆活動に専念し、数多くの唱歌を作詞しています。なかでも「汽笛一声 新橋を はや我が汽車は 離れたり…」ではじまる「鉄道唱歌」(1900年)は有名で、JR新橋駅には、建樹の生誕100年の記念に建てられた歌詞碑があります。

あこがれの金平糖

彼はまた、新体詩や短歌の才に恵まれ、散文にも優れた作品を残しました。明治35年(1902)に刊行した『したわらび 紀行漫筆』は、日常のささいな出来事などを綴った小文集で、ふるさとの菓子の思い出話も数編あります。
たとえば、「金平糖」と題した一編は、ある日、地方の講習会に出かけた建樹が、茶菓として振舞われた金平糖から、幼少時代を思い起こしたというものです。大人である建樹にとって、金平糖は、ありふれた「さまでうまからぬもの」でした。しかし、髭を生やした校長や教員が、テーブルに配られたわずかな金平糖を、カステラや羊羹のように楽しんで味わう光景を目にし、子どもの頃は、「風月堂の西洋菓子」にも勝るものとして、金平糖に憧れを抱いていたことを思い出すのでした。

故郷の菓子の味わい

建樹の生まれ故郷には、繊細で美しい上菓子はなく、まして金平糖を作る店などありませんでした。身近にあった菓子は、仏前に供える「目鏡(めがね)菓子」(小麦粉生地をリング形に焼いた菓子)、「黒砂糖の餡を入れて、菊牡丹の様に作れる花餅」、餡入りの米粉団子にもち米をつけて蒸した「女郎花ともいひつべき伊賀もち」など。いずれも手作りの質素なものだったのでしょう。
金平糖を味わうひと時を得て、昔を思い出した建樹は、この一文を「今は田舎にも菓子作る家あり。売るには都びたる折をも用ふ。さはいへ猶も花餅いがもちの時代こそ恋しけれ」と結んでいます。
さまざまな菓子があふれる現代においても、子どもの頃に親しんだ味は特別な存在として、心に残っているものです。建樹にとっては、花餅や伊賀餅などの素朴な田舎の菓子が、古きよき時代の思い出であり、心の故郷といえるのかもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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