メニュー
歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2010.02.16

伊達政宗と煎餅

『和漢三才図会』より

独眼竜

伊達政宗(だてまさむね・1567~1636)は、16世紀末の東北地方に一大勢力を築いた戦国武将で、幼い頃に右目を失明したため「独眼竜」の名でも知られています。当代一流の教養人で、千利休に茶の湯の指南を受けたほか、詩歌や書の素養があり、能も好んだといいます。また、強烈な個性から数々の逸話や伝承が生まれ、派手な振る舞いや、粋で洗練されていることを意味する「伊達」の語源になったとの俗説があるほどです。

奥州の騒乱

天正18年(1590)、全国統一に王手をかけた豊臣秀吉が関東・奥州(東北地方)へ進出してくると、政宗は苦悩の末、小田原(神奈川県)に参じ、服属します。しかし秀吉が京都へ帰ると、奥州各地で激しい一揆が勃発し、翌年にかけて騒乱状態となりました。
政宗は自身の指導役であった浅野長政(あさのながまさ)とともにその鎮圧にあたりますが、あろうことか一揆を裏で操っているとの疑いをかけられてしまいます。長政の勧めに従い、弁明のため京都へ上った政宗は、秀吉に面会し、どうにか疑いを晴らすことができました。

約束の煎餅

京都滞在中の天正19年2月25日、奥州に送った書状の中で政宗は、長政のお陰で状況が良くなっていると礼を述べた後、「さてゝゝ約束申候せんべい者(は)、はや参候や、御き(気)にあい申候や、御ゆかしく候、ゝゝゝゝ」と書き添えています。
長政から煎餅を手配するよう依頼されたのでしょうか。「約束の煎餅はもう届いたか、気に入ってくれたのか、気になってしようがない」との内容は、竜と称された強面の政宗とは異なる印象です。
煎餅は戦国時代の公家の日記や茶会記にもその名が見え、千利休が秀吉を招いた茶会でも出されたといいます(『利休百会記』)。当時の煎餅には不明な点もありますが、江戸時代の初めに京都六条の名物としても知られた煎餅は、へぎ餅(餅を薄く切って乾燥させたもの)の類だったとのこと。焼くときにあちこちふくれあがって鬼の顔のようになることから、鬼煎餅とも呼ばれたそうです(『雍州府志』)。また、後の『和漢三才図会』(1712)には小麦粉に糖蜜を加えた生地を、鉄の型に挟んで焼くとの製法が見えます。
一口に煎餅といってもいろいろあったはず。長政のために政宗が手配した「約束の煎餅」とはどのようなものだったのでしょうか。気になるところです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『仙台市史 資料編10・11』・小林清治『伊達政宗』吉川弘文館

虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記「歴史上の人物と和菓子」内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。

著作権について


トップへ戻る