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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2009.12.16

深沢七郎と今川焼

今川焼

楽屋から誕生した小説

『笛吹川』『東京のプリンスたち』など多くの作品を残した小説家深沢七郎(ふかざわしちろう・1914~1987)。ギタリストだった彼が姥捨伝説を主題にした『楢山節考』(1956)を執筆したのは、当時出演していた日劇の楽屋でした。
七郎は都会の喧騒から離れたいとの思いから、昭和40年(1965)、埼玉県菖蒲町に「ラブミー農場」を開き、自給自足の生活を始めます。その副業として、自家製味噌の販売ほか団子屋を営むなど商売も手がけますが、特に今川焼屋「夢屋」は人々の注目を集めました。

繁盛した今川焼屋

開店したのは昭和46年、場所は東武線の曳舟駅(墨田区)近くでした。当時、七郎は心臓病を患っており、農閑期に暖かい東京で商売をしたかったというのが動機のひとつだったようです。
七郎は8日間他店に修行に行ったのち開店します。最初は1人でやりくりするつもりでしたが、お客様が殺到したため、仕込みにアルバイトを雇ったり、知人に焼きに来てもらったりしなければなりませんでした。
七郎の主な仕事は接客でしたが、たまには焼くこともありました。夢屋の今川焼は大きく、餡もたっぷり入ってとてもおいしかったといいます。しかし、きれいに焼くのは難しく、失敗したときは「今川焼き 今川焼き 今川焼き 鉄板にこびりついて離れない どーうせぐっちゃぐっちゃになったからは、10円でも15円でも喰わそうよ」と歌ったそうです。

実演販売で苦戦

翌47年の歳暮期には、友人の口添えで池袋の百貨店にも期間限定で出店をすることになりました。七郎自身も実演販売をしましたが、曳舟の店と客層が違うこともあって、見切り品さえ買ってもらえず大変苦戦します。しかし、3日もたつとお客様にも慣れ、残りの日々を忙しく過ごします。商売上手で目先を変えることが好きな七郎にとっては違う環境で商売をするのは楽しかったことでしょう。
昭和48年、原材料の高騰などもあって、残念ながら夢屋は閉店します。わずかな期間でしたが、人々を楽しませた今川焼は、まさに「夢」の味だったのかもしれませんね。

※  「夢屋エレジー」より
(『生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集』光文社 2005年)

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考:

深沢七郎「余禄の人生」「夢屋往来」(『深沢七郎集』第9巻 筑摩書房)

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