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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2009.11.16

本多雖軒と桜餅

桜餅

村の文化人本多雖軒

本多雖軒(ほんだすいけん・1835~1916)は、武蔵国多摩郡国分寺村(国分寺市)の名主本多良助の四男として誕生しました。17歳の時、下谷保村(国立市)の本田覚庵の塾に入門して医術と書を学びました。その後、故郷国分寺で医療に従事するかたわら、国分寺村最勝学舎の教師にもなります。

小金井堤の桜

八代将軍徳川吉宗は、向島ほか江戸の各地に桜などを植えて「公園」を作りました(「徳川吉宗と桜餅」参照)。同じく吉宗の治下、多摩にもたくさんの桜が植樹されました。武蔵野新田の開発に尽力し、後に幕府代官となった川崎平右衛門等が、元文年間(1736~41)に玉川上水の両岸約6キロにわたって桜を植えました。江戸の「公園」と違って、小金井堤の桜は観賞用ではなく、江戸の人々の飲み水を守るために植えられたのです。それは桜の根が上水の堤を強くし、桜の実や皮に水の毒を消す効用があると信じられていたためです。とは言っても季節ともなれば近在はもとより、約30キロ離れた江戸からも多くの人々が訪れ、江戸時代後期には桜の名所として広く知られるようになっています。そうした様子を『武江年表』は、「騒人墨客多く集ひ毎春遊観の所となれり」と記しました。

本多雖軒と桜餅の暖簾

人が集まれば茶店が出ます。小金井堤でも料理屋や桜餅などを売る店が現れ、その情景が錦絵などに描かれています。 書家でもあった雖軒は碑文や看板などの揮毫を頼まれることも多く、明治18年(1885)には桜餅の暖簾を揮毫しています。依頼主は玉川上水に架かる小金井橋のたもとで桜餅を商う桜本という人物でした。その暖簾には横書きで「さ久羅もち」と書かれました。ほかにも菓子屋に揮毫を頼まれた記録が残っているので、多摩地方のお菓子屋さんに雖軒の書いた看板などが残っているかも知れません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『国分寺市史 中巻』『国分寺市史料集Ⅳ-本多雖軒文書』

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