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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2009.07.16

山科言経と「栗粉」・揚げ饅頭

栗粉餅

徳川家康との親交

山科言経(やましなときつね・1543~1611)は、戦国~江戸時代初期の公家です。彼は40~50代の13年半に渡って朝廷から追放されていました。その時期に世話をしてくれたのが、江戸幕府初代将軍となった徳川家康です。そのため家康が上洛している間、言経は毎日のようにこの恩人の屋敷を訪れていました。『言経卿記』を見ると、家康邸には武家・公家を問わずさまざまな人々が集っており、言経も能・囲碁・中国古典の講釈などの場に同席していたことがわかります。合間に酒や肴のほか、葛餅や砂糖餅、「蕨ノ餅」などの菓子も出されました。

南禅寺で「栗粉」を賞味

家康はしばしば京都周辺に行楽に出かけ、言経もその多くに同行しています。慶長2年(1597)9月には家康と共に南禅寺に招かれ、そこで「栗粉」が振る舞われました。『日葡辞書』(1603刊)には「Curicono mochi(栗粉の餅) 栗の粉を上にかけた餅」とあり、『天文日記』や『多聞院日記』など、同時代の記録にも同様の菓子が見えます。南禅寺で出されたのもこれに近い素朴なものだったのではないでしょうか。旧暦9月は秋の深まる時期、言経は家康とともに旬の新栗を使った菓子を賞味したのでしょう。

家康をもてなした揚げ饅頭

また、文禄3年(1594)7月には家康が言経の屋敷を訪れることになりました。山科家では数日前から障子や床を直したり、義兄に茶道具や屏風を借りたりと準備に大忙し。訪問当日には、義姉から「マンチウ・同油アケマンチウ・キントン・茶子・油物」などが届けられています。いずれも菓子と考えられますが、特に「油アケマンチウ(揚げ饅頭)」や「油物」といった揚げ物があることが注目されます。  家康は、天麩羅の食べすぎで亡くなったとの説があるほど、晩年揚げ物を好んだようです。言経もそれを知っていて、義姉に頼んで揚げ饅頭を取り寄せたのでしょうか。日ごろ世話になっている恩人を喜ばせようとする心配りだったのかも知れません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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