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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2008.12.16

森山孝盛と羊羹の味

「江戸の華 名物商人ひやうばん」(1815)部分
西の大関に鈴木越後、東の小結に金澤丹後の名が見える。

宮仕えのしきたり

森山孝盛(もりやまたかもり・1738~1815)は江戸時代後期の旗本で、鬼平こと長谷川平蔵の後を受けて火付盗賊改を務めた人物です。
孝盛が役に就いていた頃の勤務を回想した『賤(しず)のをだ巻』からは、宮仕えの苦労が読み取れます。たとえば、小普請組頭(こぶしんくみがしら)という役職に就いた者は、最初の寄合で先輩となる同僚を招いて供応しなければなりませんでした。しかも菓子は鈴木越後に頼むなど、注文にあたっても細かい決まりがありました。同僚全員の分を用意するとなると莫大な金額になりますが、全て自己負担です。

羊羹の味

あるとき永井求馬(ながいもとめ)という者が小普請組頭に任命され、慣例通り同僚をもてなしました。ところが後日同僚の一人が、永井が出した菓子は鈴木越後のものではないと言い出します。すると他の者も同調し、ついに永井とその指導役の船田兵左衛門(ふなだへいざえもん)の2人を前に、同僚23人が勢ぞろいしての尋問となりました。
船田が白状したところによると、高価な鈴木越後の菓子を避け、代わりに数年出入りのあった金澤丹後に頼んだとのこと。これを聞いた同僚たちは「さればこそ越後にてはなかりけり。ようかん(羊羹)麁(あら)し、越後は中々細(こまか)にて、さる味にてはなかりけり」と口々に責めたて、2人はとうとう手を突いて謝るはめになります。

鈴木越後と金澤丹後

鈴木越後と金澤丹後はともに日本橋に店を構えていた有名菓子店ですが、安永6年(1777)刊の名物評判記『富貴地座位(ふきじざい)』では、鈴木越後の方が金澤丹後よりも上位に挙げられています。また50年程後の『江戸名物詩』では、鈴木越後の羊羹が「天下鳴(てんかになる)」ものと絶賛されています。
金澤丹後も幕末に幕府御用を務めることになる店ですが、鈴木越後には及ばなかったのでしょう。菓子は鈴木越後でなければ食べない、という同僚の旗本たちは両者の違いを見逃さなかったのです。元来味に無頓着で、「有合(ありあわせ)にまかせて只(ただ)毒を喰わぬ計(ばかり)のことなりし」という孝盛も、自宅に帰って羊羹の風味に注意して食べ比べたところ、確かに味が違うことに気づいたといいます。この事件以後「味を覚えるやうに成(なり)たり」と述べており、食べ物にもこだわるようになったようです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

山本博文『サムライの掟』読売新聞社 1995年
『日本随筆大成』第3期第4巻 吉川弘文館 1977年

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