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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2008.11.16

大久保藤五郎と三河餅

大久保主水三河餅献上の図(大久保家蔵)

上水の始め

天正18年(1590)徳川家康は、それまで領有していた駿河・遠江・三河などを離れ関東に移り、江戸に本拠を置きました。そのころの江戸は入り江や低湿地が多く、井戸を掘っても良い水に恵まれない土地でした。そこで家康は家臣の大久保藤五郎(おおくぼとうごろう・不詳~1617)に上水道の見立てを命じました。藤五郎は江戸の西にある井の頭池や善福寺池などを水源とする上水を開発しました。この上水は小石川上水とよばれ、後に神田上水へと発展しています。
家康は藤五郎の功績に対して主水という名を与えました。大久保家では「もんど」では水が濁るというので代々「もんと」と名乗りました。

三河餅を献上

話は藤五郎が上水道を開発する以前にさかのぼります。彼は家康の小姓を務めていたのですが、戦の傷がもとで、三河国上和田(岡崎市)に引きこもり、時折菓子を作っては家康に献上しました。江戸幕府の歴史を記した『徳川実紀』によれば、家康は主水の作った菓子を「御口にかないしとて毎度求め」ていました。そのなかに駿河餅とよばれる菓子があります。
この餅は大久保主水家の由緒書などによれば三河餅となっています。三河も駿河も家康にとってはゆかりの深い土地ですので、どちらの名でもおかしくはありませんが、ここでは大久保家の由緒書ほかから三河餅の名をとりました。大久保家には藤五郎が鎧を着て、家康に餅を献上する絵が残されていますが、ずいぶん大きな紅白の餅で、これが三河餅と言われています。後年、家康が小石川用水の水源、井の頭池を訪れ、茶を点てた時にも三河餅を献上しています。この時には、湯を沸かした「宮嶋」という銘のある茶釜を主水は拝領しました。

幕府御用菓子屋大久保主水

主水を名乗った藤五郎の子孫は、代々幕府の菓子御用を勤めました。古くは大久保主水一人で、徐々に増えて江戸時代後期になると4・5軒の菓子屋に増えています。しかし、江戸時代を通じて勤めた御用菓子屋は大久保主水家のみです。
大久保主水は、幕府のさまざまな菓子作りに関わりました。6月16日は嘉祥の日、江戸城大広間には2万個を超す菓子などが並べられ、将軍から大名旗本へ菓子が分け与えられました。この菓子も歴代の主水が中心になって作りました。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

本HPコラム歴史上の人物と和菓子「徳川家康と嘉祥」

『徳川実紀』第一篇

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