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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2008.06.16

井関隆子と菓子いろいろ

左手前に鳥飼和泉の井籠(せいろう・菓子を運ぶ容器)がみえる。

江戸在住の旗本夫人

井関隆子(いせきたかこ・1785~1844)は九段坂下に屋敷を構えた旗本の夫人です。天保11年(1840)~15年、隆子が56歳から60歳の間の日記が現存します。当時未亡人であった隆子は、当主である息子の親経(二丸留守居)夫婦らとともに暮らしていました。歴史の中では無名の一女性である隆子ですが、和歌や古典文学に造詣が深く、その日記は史料的な価値の高さとともに日記文学としても注目され、翻刻、研究されています。

当時の菓子事情

綴られる内容は、日々の生活をはじめ思い出話、折々に詠んだ和歌など多岐にわたります。自分の生きた時代を記録する意味もあったのでしょう、菓子についても、結果(かくなわ)や?餅(まがりもち)などの唐菓子は聞かなくなったこと、江戸には紅屋志津摩(べにやしづま)、鳥飼和泉(とりかいいずみ)、船橋屋織江(ふなばしやおりえ)をはじめ菓子屋の数が多いこと、「きせわた、しぐれ、うす桜」など雅な名があること、桜餅は隅田川のほとりで売り出されたのが始まりで、今は他でも売っていることなどを記しています。

年中行事と菓子

行事食の話も多くみられます。たとえば3月3日の草餅は、母子草を使っていたのが今は蓬になったというけれども、しかし大方は「青き粉もて色つくる也」と記されます。「青き粉」が何であったのかわかりませんが、ともかく蓬ではなく、青い粉で色をつけているのだということです。同様の記述は『守貞謾稿』にも見ることができます。  また、6月16日の嘉定(嘉祥)の記述も興味をひきます。菓子を食べて厄除け、招福を願う日で、幕府でも重要な儀式が行なわれました(「徳川家康と嘉祥」参照)。隆子は民間で「嘉定食(かじょうぐい)」といって人々が好みの食べ物を買い、「物いはず笑はず(口をきかず笑わず)」に食べることをまじめくさって行なっていると書きとめ、これはいつ始まったか、どういう理由なのかも知れず、「あやしきならはし(習わし)也」と感想を添えています。  少々辛口ではありますが、隆子の鋭い観察眼がうかがえるような記述といえるでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『井関隆子日記』上巻 勉誠社 1978年

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