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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2008.04.16

徳川家定とカステラ・饅頭

家定と篤姫

江戸幕府13代将軍徳川家定(1824~58)は、12代将軍家慶の四男として生まれ、嘉永6年(1853)、父の死によって将軍職を継ぎました。 父の死去直前には、ペリーが来航して幕府に開国を迫り、以後外国の圧力が強まって、攘夷運動が広がっています。そうした情勢下でも病弱な家定は、充分な指導力を発揮できませんでした。 家定は将軍になる以前、二人の妻に先立たれましたが、安政3年(1856)に近衛家の養女という形で、島津家から篤姫を御台所に迎えています。婚儀の折には、縁起物の「五百八十之餅」が徳川・近衛両家から用意されました。記録ではそれぞれ七つの荷に分けられて運ばれていますが(『続徳川実紀』)、実際に580個の餅が用意されたのでしょうか、興味のあるところです。2年に満たない夫婦生活でしたが、篤姫は夫の死後も徳川家のために力を尽くしています。

甘い物好き

数寄屋坊主(すきやぼうず)は、江戸城における茶の湯に関わっていました。身分は低くとも将軍や大名などの側近くに仕え、なかなかの情報通であったと思われます。そのなかの野村休成(のむらきゅうせい)は、安政2年(1855)5月、後の大老井伊直弼に政治に対する意見書を出しています(『大日本維新史料類纂之部 井伊家史料四』)。 休成は意見書の中で、家定が30歳を超えているというのに、江戸城内の畑でとれた薩摩芋や唐茄子(カボチャ)を煮、また饅頭やカステラを「御拵え為され」ていると嘆いているのです。この文章は「ご自分でお作りになる」とも読めます。一説に家定は料理が趣味だったといわれていますので、菓子も将軍お手製だったのかも知れません。 当時のカステラは、金属製の鍋に卵や小麦粉、砂糖などを混ぜた生地を流し入れ、蓋をして火に掛け、蓋の上にも炭火を置いて上下から熱して作りました。 家定の饅頭やカステラはどのような味だったのでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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