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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2007.07.16

吉田兼好とかいもちひ

かいもちひ?

『徒然草』の作者

吉田兼好(生没年不詳。1283~1352?)といえば、「つれづれなるままに、日暮し、硯にむかひて…」で始まる『徒然草』の作者として有名です。鎌倉時代末から激動の南北朝時代を生きた人物で、もともと朝廷に仕えていましたが、30歳頃までには出家遁世し、京都の山科の小野荘で『徒然草』を書き始めました。鎌倉や金沢(横浜市金沢区)に住まいを移した時期もあり、同書には東国で見聞した話も見られます。

美味なるかいもちひ?

兼好在世中は、食生活上の変化も大きく、中国に留学した禅僧が喫茶の風習を広め、饅頭や羹類などの点心を伝えました。残念ながら『徒然草』にはそうした点心の記述がないため、兼好が賞味したかどうかは不明ですが、かわって注目したいのが「かいもちひ」です。まずは二一六段で、最明寺入道(北条)時頼が足利左馬入道(義氏)を接待した折の献立に「一献に打鮑(あわび)、二献に海老、三献にかいもちひ」とあります。また二三六段では丹波の出雲(現京都府亀岡市)に人々を誘った聖人の言葉に「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」(かいもちをご馳走しましょう)が見えます。どちらも、もてなしに用意されているだけに、何やらおいしそう。一体どのような餅だったのでしょう。
江戸時代、「かいもちひ」(かいもち)は「牡丹餅」の別名とされますが、『徒然草』が書かれた頃といえば、砂糖は輸入に頼る貴重品で、今日のような甘い小豆餡はまだ作られていなかったと考えられます。「かいもちひ」を、かいねり(掻い練り)餅からきた言葉として、米粉・そば粉などを混ぜ合わせ、練ったあとに黄粉などをかけたものという解釈の方が自然かもしれません。実体はわかりませんが、黄粉や砂糖の甘みが多少つくなど、一味違った食べ物だったのではと思いたくなります。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

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