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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2007.01.16

恋川春町と粟餅

黄表紙の創始者

恋川春町(こいかわはるまち・1744~89)は本名を倉橋格といい、駿河小島藩松平家の家臣でした。画才・文才に恵まれていたのでしょう。住まいの小石川春日町にかけたペンネームで、安永4年(1775)に自画自作の『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』を発表し、大評判となります。洒落と風刺を織り交ぜた大人向けのこの読み物は、従来の子供向けの赤本などとは異なっており、黄表紙と呼ばれ、新たなジャンルの作品と見なされました。その後も春町は黄表紙や狂歌を残しますが、寛政の改革を風刺した作品により、幕府の怒りを買い、最期は自害したと伝えられます。

粟餅屋が舞台の出世作

『金々先生栄花夢』は、中国の故事「邯鄲(かんたん)の夢」をもとにしています。これは戦国時代、趙の都の邯鄲で、仙人から不思議な枕を借りた盧生(ろせい)という青年の話です。盧生がこの枕で、うたたねしたところ、栄華を極める五十余年の夢を見ますが、覚めてみると、粟がまだ煮えないほどの短い時間であったというもの。栄枯盛衰のはかなさをたとえており、春町の作品では、主人公が、目黒不動尊前の粟餅屋で仮寝をし、長い夢を見る設定になっています。
粟餅とは、一般にもち粟を蒸して搗いたもので、江戸時代には、庶民的な菓子として人気を集めていました。春町も、モデルとなった目黒の粟餅屋でくつろいでいるときに、創作のヒントを得たのかもしれません。同書には、餅搗き姿や金々先生のうたたね姿がおもしろおかしく描かれています。

謎の粟餅

ところで、調べてみると、この粟餅には本当に粟が使われていたのか、疑問が残ります。というのも『続江戸砂子』(1735)に「目黒粟餅 同所の名物也。昔はまことの粟餅なりしが、ちかきほどは常の餅を粟のいろに染たる也」とあるからです。同時代の史料ではないので、何ともいえませんが、いずれにせよ春町にとって粟餅は出世作と結びつく、生涯忘れられない食べ物であったことでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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