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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2006.12.16

小堀遠州と十団子

広重 東海道五十三次ノ内 岡部 宇津の山之図
すくうタイプの団子は描かれておらず、厄除けの団子と串団子が見える。

芸術の才にあふれた大名茶人

近江小室藩主の小堀遠州(1579~1647)は、禁裏御所や二条城などの建築、造園に関わるとともに、江戸時代初期を代表する茶人でした。茶道遠州流の祖であり、洗練された瀟洒な茶風は「綺麗さび」と呼ばれています。茶会記には様々な茶菓子の名が見えますが、今回は遠州が江戸から京への旅の途中に出会った名物を『辛酉紀行』(1621)からご紹介します。
旅の目的はわかりませんが、景色を愛でて歌を詠み、各地の知人と交流したことや、道中の食べ物として、十団子や焼米(庄野)のことが書かれています。

街道の名物に興味津々

宇津(静岡県。宇津の山、宇津ノ谷とも)の峠にさしかかった時、白い霰のような餅を見かけた遠州は、その名を「十団子(とおだんご)」と聞いて「唐(とう)団子」つまり中国伝来の団子なのだろうと言います。しかし、店の人の説明によると「十」の由来は、容器から杓ですくう時、必ず一度に十個ずつになるからだとか。遠州は早速その技を見せるように命じます。店主の女房が自在に団子をすくう様を見物し、「是に慰みて暮にけれ…」と書いていますので、時間を忘れてその妙技を楽しんだのかもしれません。

十団子のその後

十団子は江戸時代以前から宇津の名物として知られていました。しかし、遠州の時代より後には、小豆粒ほどの固い小さな団子を数珠のように連ねた十団子が登場し、こちらの方が有名になります。食べずに厄除けのお守りとし、杓ですくうという売り方は見られなくなりました。
現在も厄除けの十団子は宇津ノ谷の慶龍寺で縁日に授与されるほか、土産として、食べても美味しい餡入りのものを売る店もあります。遠州が興じた技は幻となりましたが、近辺は江戸時代を感じさせるたたずまいが残っています。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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