歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2006.11.16

石黒况翁と蓬求肥

草求肥

茶人 况翁(きょうおう)

石黒忠悳(ただのり・1845~1941)は、軍医制度の基礎を築いた陸軍軍医総監として有名ですが、近代の代表的な茶人としても知られています。彼のお茶との出会いは明治10年頃といわれ、当時の茶の師匠より、どんな時でも平常心を忘れなかった「况(まして)の翁」の逸話を聞き、それにあやかり况斎(のち况翁)と号したそうです。
况翁は「况翁茶話」の中で「茶道は各自の分限に応じた道具や賄(まかない)なりで、上下貧富の別なく、同好と親しみ交わり、互いに心を尽くして賞玩するところに興味深さがある(要約)」と述べています。彼自身は名品も所持し、『好求録(こうきゅうろく)』という茶器鑑定書を著すほどの道具に詳しい人でしたが、名品を並び立てるような道具偏重のお茶はしませんでした。ある宮様を招いた茶会では、その宮様ゆかりの道具のほかは1円にも満たぬ新しい道具を取り合わせたことから不円と号したともいわれています。同時代を生きた茶人高橋箒庵は、况翁のこうした道具の取り合わせ、鑑識眼、知識の質の高さについて著作の中で触れ、賞賛しています。

お菓子の記憶

况翁90歳を記念して、自伝『懐旧九十年』が発刊されます。彼の鮮明な記憶力には驚きを隠せません。特にお菓子に関しては、甲府にいた6歳から8歳頃「学業優等でほめられ、父からご褒美に友達と一緒に増田屋の饅頭を頂戴した」と述懐しています。また8歳から14歳にかけて江戸に住みますが、「来客に供する茶菓子は、並客にはせんべい、上客には最中」と書いています。况翁にとって、お菓子が懐かしい記憶の一つであったことがうかがえます。

况翁の名茶会と蓬(よもぎ)求肥

高橋箒庵の『東都茶会記』大正2年(1913)春に記されている「乃木大将追憶茶会」は、近代名茶会の一つに数えられています。况翁は乃木大将とは兵部省に出仕した頃からの気心の知れた旧友でした。乃木大将の殉死直後に、况翁のかつての部下であった森鴎外が書き下ろした小説『興津弥五右衛門の遺書』は、熊本藩主細川家を舞台に、主君に殉じて死した武士を題材にしています。况翁はこの作品に想を得て、小説に深い関係のある古銅の花入に杜若を活け、初音の香を焚き、茶会に殉死というテーマを織り込みます。また乃木大将にゆかりのある道具も取り合わせます。日露戦争の敵弾を仕立てた茶器、旅順攻囲の鉄条網から作った火箸、大将常用の茶碗、戦死者を追悼した大将作の詩を刻んだ赤茶碗などです。
主菓子には「蓬求肥(よもぎぎゅうひ)」を使っています。「蓬求肥」は色合いや形状から、春には「遠山」の銘がつけられることもあります。大陸の戦地の丘や山を連想したのでしょうか。それとも席中の掛物「山中春日書懐」にちなんだのでしょうか。『東都茶会記』にはお菓子を選んだ経緯までは書かれていません。しかし况翁のこと、お菓子の取り合わせにも、きっと何らかの意図があったものと思います。

※ 「况翁茶話」は東京博文館刊『懐旧九十年』に附録甲として掲載されています。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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