歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2006.10.16

小林一茶と栗

信州の俳人

俳人小林一茶(こばやしいっさ・1763~1827)は、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれました。15歳で江戸に出て、奉公先を転々としますが、20歳から25歳のころに俳句の道を志すようになりました。江戸から房総にかけて門人の多い俳諧葛飾派に師事し、37歳で二六庵という有力な庵号を継承します。その後10年あまりは、西国行脚など旅に明け暮れる生活を送り、しだいに、俳諧宗匠としての地位を確立していきます。

小布施と一茶

一茶は、文化9年(1812)50歳の時、家を継いでいた弟と和解し、疎遠であった故郷に永住を決意します。当時、周辺の北信濃地方には江戸の文化が流入し、特に裕福な商人や豪農の人々の間で俳諧が盛んでありました。そのような背景もあり、門人や俳友も増え、隣接した小布施にも門人を訪ねたということです。代表作ともいえる
「痩かへる(蛙)まけるな一茶 これにあり」
は同地の岩松院で詠まれたものです。
また、小布施といえば栗が有名ですが、江戸時代、小布施の栗は統轄する松代藩により管理され、厳選されて将軍家へ献上するのを例年の習わしとしていました。献上が終わるまでは持ち出しが出来なかったため「お留め栗」と呼ばれていました。一茶も
「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」
と、「お留め栗」の句を詠んでいます。真っ先に拾いたくなる、大きく立派な栗であるが、庶民には叶わないという悲哀が感じられますが、暮らしに密着し、さらりと風刺する作風がよく表われているといえましょう。

栗菓子さまざま

小布施での栗菓子の始まりは、文化5年(1808)に桜井幾右衛門が、栗の粉で作った栗落雁が最初とされ、諸侯の間で評判となりました。一茶が、落雁を口にしていたかは不明ですが、栗や栗おこわなどは堪能したことでしょう。
現在でも、栗落雁(栗の粉の保存の難しさなどから赤えんどう豆を材料した落雁が主流)や純栗羊羹のほか、糖蜜で煮た栗と栗餡を合わせて缶につめたものや、栗をたっぷりと炊き込んだ栗おこわは小布施の名物となっています。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記「歴史上の人物と和菓子」内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。

著作権について