歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2006.08.16

黒川武雄と小形羊羹

虎屋15代店主

黒川武雄(1893~1975)は、虎屋14代光景(みつかげ)と養子縁組をし、後に光景の娘算子(かずこ)と結婚しました。武雄は東京帝国大学法律学科を卒業後、第一銀行を経て虎屋に入り、餡を煉ることから菓子作りに取り組みました。大正時代に配達車を導入したり、広告を打ったり、数々のアイデアで現在の虎屋の基礎を作り上げた人物です。戦後は菓子屋の社会的地位の低さを嘆いて参議院議員となり、第三次吉田内閣では厚生大臣を務め、業界の発展にも力を注ぎました。

様々な菓子を考案

武雄が残したノートや随筆、社内掲示などから、武雄がいかに多くの菓子を考案したかを知ることができますが、現在も作り続けられている菓子も少なくありません。最も代表的なものは小形羊羹でしょう。
当時羊羹は、現在大形と呼ばれている一棹1.5キロほどの大きさが普通で、コンパクトなサイズのものはありませんでした。武雄は小形羊羹のアイデアを思いついたときのことを、著作『新々羊羹と人生』(私製本)の中で以下のように記しています。

「大正時代のことである。六大学の野球をよく見に行った。野球が終わってゾロゾロと帰る道すがら、よく考えた。こんな大勢の人達にたやすく買ってもらえるお菓子を作りたい、と思った。夢にさえ考えた。
たまたまフランスのコティの香水をもらった。大きさもよし、化粧箱も簡単であり、清楚である。これだ、この大きさだと思いついて、羊羹の小さいのがよい。・・・」

こうして羊羹を小さく切る道具を工夫し、「夜の梅」と「俤(おもかげ)」という二種類の羊羹を一本ずつアルミ箔で包んで、小さな箱に入れた小形羊羹が、昭和5年(1930)に発売されました。一箱15銭で当時としてはなかなか高価なものではありましたが、好評を得たようです。 羊羹を小さくするというアイデアは「わたしが永いこと苦労して考えた小形羊羹を売り出したら、二ヶ月もたたぬ間にどこかで、小形羊羹を売り出した」と武雄が嘆くほど、すぐに真似をされ、現在では一般的なものとなっています。
フランスの香水から想を得ただけあって、発売当時の小形羊羹は清楚でいながらどこか華やぎのあるパッケージで、このデザインは戦争をはさんで昭和37年(1962)まで使われ続けました。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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