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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2006.03.16

根津嘉一郎と「ほかほか」お菓子

茶人 青山の誕生

東武鉄道などを手がけ、「鉄道王」として知られている根津嘉一郎(1860~1940)は、山梨郡正徳村(現山梨県山梨市)に生まれました。事業だけではなく、武蔵高校(現武蔵学園)、根津化学研究所、根津美術館など、教育・文化の分野でも尽力したことが知られています。また嘉一郎は青山と号して茶の湯を愛し、茶道具や東洋古美術の蒐集に力を入れています。
若い頃から古美術を愛好していたようですが、一躍注目されるのは明治39年(1906)、青山47歳の時の平瀬家売り立てでの落札です。足利義政遺愛の「花白河蒔絵硯箱」を当時としては破格な16,500円で落札します。こうして古美術界で頭角をあらわします。青山が茶の湯にいそしむようになったのは、50歳頃と言われていますが、数多くの名品を集めているにもかかわらず、一向に公式な茶会を開こうとはしない青山に対して、数寄者の間で陰口が聞かれるようになりました。そんな中、先輩茶人の高橋箒庵(そうあん)の仲介もあり、大正7年(1918)59歳の秋に「初陣茶会」を催しました。その見事な亭主ぶりは評判となり、関西の数寄者にもその名が伝わったと言われています。

「ほかほか」お菓子

青山の茶会に関する記録としては、高橋箒庵の『大正茶道記』『昭和茶道記』の記述が知られています。特に大正10年以降、毎年恒例で催されるようになった「歳暮茶会」は有名です。この「歳暮茶会」やその他青山が席主となった冬の茶会記を追ってみると、同時期に行われている他の人の茶会に比べて、お菓子の記述に「蒸(む)して」「熱々」や「お汁粉」「ぜんざい」などが多く見受けられます。たとえば「蒸(ふ)かし小麦饅頭 縁高に入れて」「栗饅頭 蒸して」「蒸粟饅頭」「粟餅ぜんざい」「潰し餡汁粉」などです。これらの「ほかほか」お菓子は冬の客人に対する青山のもてなしのあらわれではないでしょうか。
お茶の世界では、流派によって11月の口切に「お汁粉」が供されることもありますが、青山の会記に見られるような熱々のお菓子を「ふうふう」しながらいただくことは、現在の大寄せの茶会ではあまり見られなくなりました。このような中、青山を偲び、彼が愛でたお道具を使って現在も根津美術館で行われている「歳暮茶会」では、平成17年(2005年)も青山の会記の例に倣ってのことか、温かい「そば饅頭」、「粟ぜんざい」が濃茶席、薄茶席で振る舞われました。
春とはいえ、戻りの寒さもあるこの時期、皆さんも蒸し直した温かい饅頭を召し上がってみてはいかがでしょうか。ひと手間かけることによって、新たなおいしさの発見があるかもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

 

 

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