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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2005.10.16

土御門泰邦と安倍川餅

安倍晴明の末裔

江戸中期の公家土御門泰邦(つちみかどやすくに・1711~84)は、安倍晴明の後裔(こうえい)で、陰陽頭(おんようのかみ)として天文や暦をつかさどり、宝暦暦(ほうりゃくれき)をまとめた人物として知られます。
天文と聞くとかたい印象をうけますが、おもしろい旅行記を残しています。宝暦10年(1760)、天皇から将軍家に下った宣旨(せんじ)を、勅使とともに江戸に届ける際に記した『東行話説(とうこうのわせつ)』です。

名物食べつくしの旅

京を発ったとき泰邦は50歳、初めての東海道の旅でした。見るもの聞くものすべてが珍しく、名所旧跡はもちろんのこと土地の名物を片端から食べ、感想を細かに書いています。あまりの健啖ぶりは驚くばかりですが、生き生きとした記述は読むものを引き込まずにはいられません。
菓子も旅の楽しみのひとつだったようで、取り寄せたり、寄進されたりした米饅頭、柏餅、蕨餅などを食べています。しかし京で上品な菓子ばかりを口にしていたためか、あまりのまずさに一口で捨ててしまったり、気分が悪くなって薬を飲む始末。期待した割には気の毒な結果になることが多かったようです。

安倍川餅に舌鼓

もちろんおいしく食べたものもありました。安倍川(現静岡県静岡市)を渡ったところで休憩をすることになり、そこで縁高に盛られた名物の安倍川餅が出されます。安倍川餅は黄粉を餅にまぶした素朴な食べ物ですが、泰邦は空腹だったせいか、それをぺろりと平らげてしまいます。そして餅と先祖の名前が同じことをかけた、「我為にいしくも名乗あべ川や豆の粉の餅まめの子の旅」という歌も詠んで、とてもご満悦な様子です。
その後一行は無事江戸に到着し、旅は終わります。しかし、『東行話説』は食いしん坊の公家が記した一風変わった東海道食べある記として評判になり、写本も作られ広まりました。近年には『随筆百花苑』(森銑三ほか編 中央公論社)に翻刻が掲載され、私たちも泰邦がたどった旅の様子をうかがうことができます。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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