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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2005.08.16

和泉式部と母子餅

平安時代の女流歌人

和泉式部は平安時代中期、紫式部や清少納言と同時代に生きた女流歌人であり、為尊親王やその弟・敦道親王ら貴公子と浮名を流すなど華麗な恋愛遍歴でも知られます。その娘の小式部内侍(こしきぶのないし)も才媛の誉れ高く、母子ともども一条天皇の后・彰子に仕えました。

草餅に使う草は?

『和泉式部集』には、「…手筥(てばこ)にくさもちひ(草餅)入れて奉る」と前書きして「花のさと心も知らず春の野に いろいろつめるははこもちひ(母子餅)ぞ」という歌が見えます。
母子餅とは母子草(春の七草のゴギョウ)を混ぜて搗いた餅で、3月3日の上巳の節句に食べる習慣がありました。この日は本来、身の穢れを清める節句で、母子草の香りや薬効が邪気を祓うと考えられていたのです。
平安時代、砂糖を使った甘い小豆餡などはなく、母子餅にどのような味がついていたかは不明ですが、現在とはかなり違った味だったと思われます。
和泉式部が贈った母子餅はもしかしたら当時の貴重な甘味料、甘葛(ツタの搾り汁を煮詰めたもの)入りで、式部自身も味わったかもしれません。

母子草から蓬へ

母子草を使っていた草餅ですが、後世になると「母と子」を一緒に搗くのは縁起が悪いともいわれ、蓬入りが主流になります。蓬も香りが良く邪気を祓うとされた草です。やがて「草餅」は母子餅から蓬餅を指す言葉に変わりました。
ちなみに、江戸時代以降、3月3日は雛人形を飾り女子の成長を祝う行事となりますが、草餅を食べる習慣は受け継がれ、現在に至ります。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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