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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2005.06.16

近松門左衛門と蕨餅

「岡大夫」という名前がついた虎屋の蕨粉製の餅。

江戸の流行作家

近松門左衛門(1653~1724)は、人形浄瑠璃(現在の文楽)や歌舞伎の脚本作家のさきがけとして活躍した人物で、今でいう流行作家でしょう。その生涯については、あまり知られていないようで、出生についても、京都、越前(福井県東部)、北越(新潟県・富山県)など、諸説ありますが、武士の家に生まれ、幼年時代に一家で京都に移ったといわれています。10代で、公家一条昭良(いちじょうあきよし・1605~1672)に仕えますが、近松が20歳の時に昭良が死去してしまいます。その後、俳諧で名を成したあと劇作家への転身をしました。当時、公家の世界では浄瑠璃が大変人気があったこともあり、奉公を通じて、近松は古典や仏教を学び、浄瑠璃に触れていったのだろうと思われます。

代表作「重の井子別れ」

近松作品といえば「曽根崎心中」をはじめ、市井の生活を写した世話物と呼ばれる分野が有名ですが、子役の名演技で今も人気の出し物「重の井子別れ(しげのいこわかれ)」の段(「丹波与作待夜小室節」から後世「恋女房染分手綱」に改作)も代表作です。
その話は、由留木(ゆるぎ)家の調姫(しらべひめ)が関東へ嫁入りをすることになったところから始まります。幼い姫は父母と別れて東国へ下りたくはありません。そこで姫の機嫌を直すために玄関から呼び込まれたのが、自然生(じねんじょ)の三吉と呼ばれる子供の馬子。その話から姫は東国へ興味を持ち、出立する気になるのです。乳人(めのと)の重の井が褒美を与えようとすると、三吉は、けなげに生い立ちを語り、武士の子ゆえにと褒美を固辞します。この話から、三吉こそ生き別れの我が子だと知りますが、重の井は、乳人という立場上、親子の名乗りができぬまま別れるという涙を誘う話です。

名物菓子「蕨餅」

道中双六は、三吉が遊んでみせる大切な道具となっています。その中には、日坂(静岡県)の蕨餅や草津(滋賀県)の姥が餅などの名物菓子が登場します。
蕨餅とは、独特の仄かな香りと歯触りの腰の強さが特徴の菓子。黄粉との組み合わせの野趣に富んだ菓子です。当時、歌舞伎は庶民、町人階級によって育てられた芸能であり、ありとあらゆる流行が取り入れられていました。通称「いやじゃ姫」とよばれる調姫の機嫌を直すきっかけは、「はやりもの」であった「甘いお菓子」という筋書を近松が書いたこともうなずけます。
蕨餅は、蕨の根から採った澱粉で作りますが、現在ではこの蕨粉の生産は非常に少なくなり、大変高価なものになっています。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

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