歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2005.03.16

中村仲蔵(三代目)と江戸前の団子

旅の終わりに

歌舞伎は江戸時代もっとももてはやされた娯楽のひとつ、数多くの名優が活躍して人々を魅了しました。なかには歌舞伎に夢中になるあまり免職になってしまった旗本もいました。200石取りの鶴藤蔵がその人、屋敷の内に舞台を設けて自らも出演、番付まで印刷する熱のいれようでした。そうした歌舞伎ざんまいの結果、1000両を越える金を使い切って免職されてしまったのです(『藤岡屋日記』)。当時の貨幣を現在の価値に直すのは難しいのですが、金1000両は1億円相当とも考えられます。
この事件があったのは嘉永5年(1852)の3月8日のこと、その同じ日に1人の歌舞伎役者が長旅を終えて江戸に帰ってきました。幕末から明治にかけて老け役や敵役で評判をとった名優、後の三世中村仲蔵(1809~1886)です。彼は四世中村歌右衛門の遺骨を守って、中山道から甲州道中を経て江戸へ向かっていました。いよいよ旅も大詰め、四谷の大木戸を越えれば江戸の内、四谷新町(現新宿)の茶店で一休みした仲蔵ですが、注文した団子に感慨ひとしおです。
出てきた団子は一串に四つの団子がついていました。その団子を見て思わず「江戸前」の団子と大喜び、「四つざしの団子尊とき桜かな」と一句ひねっています(『手前味噌』)。

江戸前の団子

仲蔵によれば道中で昨日まで食べてきた団子は五つざしだったとのこと、これはどういうことなのでしょう。昔の団子は江戸でも五つざし、値段は一串5文ですので、団子一個1文ということになります。これだと団子を売るのにも計算が楽でした。それが明和5年(1768)に1枚で4文の価値がある四当銭が発行されたため、いっそのこと一串4つで4文にしてしまえということになったようです。
ただし仲蔵も「これまでは団子五ツざし」と言っているので、大坂から中山道・甲州道中と江戸の外は五つざしの団子でした。四つざしの団子はまさしく「江戸前」の団子だったのです。同じ四当銭を使っていながらなぜこのような違いが生じたかはわかりませんが、今でも東京は四つさし関西は五つさしの団子が多いようです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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