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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2004.11.16

益田鈍翁とお菓子

茶人鈍翁

三井物産設立とともに、三井財閥の最高経営者となった益田孝(1848~1938)は、後年、鈍翁(どんのう)と号し、近代の代表的な茶人のひとりとして知られています。鈍翁の名は自伝によると、表千家6代覚々斎の手造黒楽茶碗、名古屋の高田源郎(通称鈍太郎)旧蔵の「鈍太郎」に由来します。鈍翁はそれまで観濤(かんとう)の号を使っていましたが、還暦を迎えた明治41年(1908)頃にこの「鈍太郎」を入手し、鈍翁の号を使うようになります。翌年には品川御殿山の自宅に茶室太郎庵を建て、席主として「鈍太郎」を使った席披きの茶会を催しました。
鈍翁の高い鑑識眼は、彼を茶の世界に導いた非黙(克徳)、紅艶(英作)の弟たちの影響が大きかったといわれています。この鑑識眼の下に集められた膨大な古美術は有名です。これらの収集は個人的な趣味もあったのでしょうが、日本の美術品の海外流出を防ぐ大義がありました。

お菓子大好き

鈍翁はお酒が苦手、匂いを嗅ぐのもだめで、奈良漬一切れ食べても酔っ払ったそうです。その分、甘味は常に欠かさず、甘味を口にしていない日には、わざわざ自分で菓子屋に買いに行ってしまうほど好きだったようです。
茶道にまだ興味のなかった鈍翁23才の頃、お菓子での失敗談があります。知人宅にて友人と談笑していた折、甘い物好きの鈍翁の視界に羊羹が入りました。羊羹を切るのによいものはないかと辺りを見回すと、部屋の隅に据えられた風炉の近くにあった棗と茶杓に目が留まります。この茶杓で羊羹を切って食べているところを、知人のお茶の先生に見つかり怒られたということです。
近代数寄者として名高い鈍翁からは信じ難いような話ですが、茶目っ気の多かったといわれる彼ならではの逸話かもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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