歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2004.03.16

笠森お仙と団子

笠森お仙

笠森お仙(1751~1827)は江戸谷中、笠森稲荷前の茶屋鍵屋の娘で、明和年間(1764~1772)、浅草寺内柳屋お藤、蔦屋およしとともに江戸の三美人の一人としてもてはやされた女性です。年の頃16~18歳で鈴木春信らの浮世絵に描かれた他、歌舞伎や人情本に取り上げられ、果ては双六、手拭い、人形まで作られたというのですから、相当な人気です。元々笠森神社は瘡(かさ)除けの神社として信仰されていましたが、その上お仙を見ようと来る参拝客が大勢いたようです。

お仙と団子

ところでお仙を描いた絵によく団子が出てくることをご存じでしょうか。 黒と白の2種類あり、黒は土、白は米の粉で出来ていました。 これは笠森稲荷のお供え用で、病が治るよう願掛けをする時には土の団子が、 願いが成就した後は米の粉の団子が使われました。  狂歌師、戯作者大田南畝も自著の中でお仙のことをたびたび述べています。 『売飴土平伝』(1769)では江戸市中で歌を歌って飴を売った実在の人物、 土平を主人公にしながらも、お仙が紫雲に乗った姿で登場します(挿絵参照)。 2人は出会い語り合った後、土平は飴の詩を作り、お仙は花団子、菖蒲草団子、 彼岸団子を始め、景勝団子、飛団子、千団子、十団子等々、団子尽くしの詩を 詠むのです。

お仙の失踪

お仙は明和7年(1770)鍵屋から姿を消しました。 彼女目当てに笠森稲荷に来ても、店には頭の毛が薄い老父が居るだけで、 「とんだ茶釜が薬缶に化けた」という言葉まで流行りました。 人気者だっただけに様々な憶測がされたようですが、 実は御家人倉地政之介の妻となって、桜田門内御用屋敷に住んでおり、 子宝にも恵まれて幸福な生涯を送ったようです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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