歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2003.12.16

大岡忠相と幾世餅

名奉行の実像

大岡越前守忠相(1677~1751)は、八代将軍徳川吉宗に仕え、多くの要職を務めました。なかでも江戸町奉行当時の活躍は、芝居やドラマに繰り返し取り上げられています。
忠相は、普請奉行などを経て、享保2年(1717)に江戸町奉行に任ぜられています。任期は20年の長きにわたっています。江戸町奉行は、江戸の治安を守るだけでなく、裁判や民生など幅広い権限を持っていました。さしずめ東京都知事、警視総監プラス裁判所所の長官といったところでしょう。忠相の場合、関東地方の農政や幕府の財政にも深く関わっており、有能さと将軍の信頼の厚さがうかがえます。

本家争い大岡裁き

江戸浅草のあたりには、米饅頭をはじめ名物菓子がたくさんありました。なかでも焼いた丸餅の上に餡をのせた幾世餅は、大人気の菓子でした。元祖は浅草寺門内の藤屋と言われています。
その後、小松屋が吉原の遊女であった妻と一緒に、毎朝両国橋へ餅を運んで売り出したところ大当たり、たちまち店構えの菓子屋になりました。その餅は、妻の遊女時代の名前から幾世餅と呼ばれていました。
面白くないのは藤屋です。幾世餅の商標の独占を大岡越前守に訴え出ました。判決は、藤屋が元祖であることを認めつつも、小松屋の事情も斟酌して、藤屋は四谷内藤新宿(新宿区)、小松屋は葛西新宿(葛飾区)に移ることを命じるものでした。
どちらも江戸のはずれ、とても商売になりません。双方示談の上、訴えを取り下げました。この逸話は、やはり名奉行を謳われた根岸鎮衛の『耳嚢』に書かれています。現実的な判断をする忠相の一面がよく現れています。
ちなみに現在伝わる大岡裁きの多くは、後世の創作、江戸の庶民が理想の政治家像を能吏大岡越前守に託したのです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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