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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2003.11.16

正岡子規と牡丹餅

早世の俳人

わずか35歳の若さでこの世を去った明治時代の俳人正岡子規(まさおかしき・1867~1902)。病にさいなまれつつも、最後まで生への情熱を失うことなく、歌を作りつづけたその姿勢は、私たちに深い感動を与えます。

食べることこそ生きる源

子規は最晩年に日常の出来事や、俳句、短歌についての批評などを日記に綴っています。なかでも食べものについては、ほぼ毎日記すという熱心さで、病床にあったとは信じがたいほどの健啖ぶりがうかがえます。おそらく、食べることが楽しみであり、生きる源と考えていたのでしょう。 また、子規は相当な甘党でもあったようで、菓子もたくさん出てきます。滋養豊富なココア入りの牛乳や菓子パンほか、羊羹や煎餅、餅菓子といった和菓子の名もみえます。

牡丹餅を楽しむ

9月24日、勤めていた『日本新聞』の社長陸羯南(くがかつなん)が、手土産に手製の牡丹餅を持って子規のもとを訪れます。当日子規は昼に「お萩一、二ケ」食べており、もらった牡丹餅はおやつにしたようです。そして陸には、正岡家で買っておいた牡丹餅をお返しとして渡しています。 「お萩」「牡丹餅」と子規は書いていますが、本来は同じものとされます。書き分けているところをみると、つぶ餡とこし餡のように餡が違っていたのかもしれません。ちなみに、子規は牡丹餅のやりとりを「馬鹿なことなり」と一蹴しています。しかし、そうは言いつつしっかり食べて、最後に句もいくつか書き残しているのですから、本当はとてもうれしかったのでしょう。

「お萩くばる彼岸の使行き逢ひぬ」

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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