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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2003.10.16

明智光秀と粽

戦国時代の悪役

主君、織田信長を本能寺の変で倒した明智光秀(?~1582)は、戦国時代を語る上で欠かせない人物です。裏切り者のイメージが強く、人気は今ひとつかもしれませんが、光秀の存在があるからこそ、この時代は劇的で、歴史小説やドラマにもよくとりあげられるのでしょう。では光秀はどのような人物だったのでしょうか。その出自や素性は不詳ですが、朝倉氏に仕えた後、室町幕府の幕臣、ついで信長の家臣となり、功績から丹波国を与えられるなど、出世街道を歩んだことが知られます。それが反逆の徒にかわってしまうのですから、人生とはわからないもの。理由として、信長への恨み説、秀吉との不仲説などが伝えられますが、真相は謎に包まれています。

意外なエピソード

おもしろいことに、光秀の性格を窺わせる、菓子関連のエピソードが残っています。天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で信長を討った数日後のこと。京の人々が光秀に粽を献上しましたが、光秀は笹の葉の包みもとらずに粽を口にいれてしまったそうです。信長を倒したものの、あてにしていた援軍もえられず、いらだっていたためでしょう。京の人々はその姿を見て、この程度の人物かと、光秀の器を見限ったそうです。(『閑際筆記(かんさいひっき)』より)光秀は和歌・連歌を好み、茶湯をたしなむ文化人でもありましたが、この時ばかりは動揺を隠せず、自分を失っていたのでしょう。同年6月13日、羽柴秀吉との戦いに敗れた後、光秀は逃走の途中に土民の襲撃にあい、自刃してその生涯を終えます。わずか十余日の天下で、「三日天下」と呼び習わされます。光秀はいまだに草葉の陰でくやしがっているかもしれません。

当時の粽

光秀はどのような粽を食べたのでしょう。戦国時代はまだ砂糖の流通量が少なく、今日のような菓子の粽はなかったと考えられます。もち米を笹にくるんで蒸した程度の簡素なものだったとも想像できます。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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