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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2003.09.16

徳川吉宗と安倍川餅

江戸幕府中興の名君・暴れん坊将軍

時代劇でもお馴染みの徳川吉宗(1684~1751)は、徳川御三家の紀州藩主の三男として生まれ、本来は政治の表舞台に立つ望みはありませんでした。しかし兄たちの死によって思いがけず紀州藩主、そして八代将軍の座につき、享保の改革を断行して幕府を立て直し、幕府中興の名君といわれています。

砂糖やさつま芋の栽培に意欲

吉宗による享保の改革の徹底した倹約は、食生活にも及びました。例えばカツオのように高価な初物の取り締まりや、菓子の新商品を一部禁止したことなどです。
一方、当時高価な輸入品だった白砂糖の国産化を目指し、諸藩に砂糖きびの苗を配ったほか、朝鮮人参の栽培にも取り組みました。また、飢饉で苦しむ人々を救うため、さつま芋の栽培も奨励しています。

安倍川餅の献上を心待ちに…

藩主時代に参勤交代で東海道を行き来した吉宗は、道中の名物を賞味したこともあったのでしょう。南町奉行を勤めた根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の随筆『耳袋』によると、吉宗は駿河安倍川の名物安倍川餅が好物でした。安倍川餅は黄粉をふりかけた餅の代名詞となっていますが、もともと安倍川付近の茶店で作られていたものです。
将軍となった後は、駿河出身の家臣、古郡孫太夫が作る安倍川餅を楽しみにしていました。孫太夫は富士川の雪水で育ったもち米がおいしさを生むと考え、毎年駿河からもち米を取り寄せていたとのことです。
みずから食生活の贅沢をいましめ、1日2食、一汁三菜を守った吉宗ですが、特別製の安倍川餅のおいしさは、やはり魅力だったようです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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