メニュー
歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2003.08.16

山東京伝と米饅頭

挿絵『用捨箱(ようしゃばこ)』(1841)より

文人達の関心の的

山東京伝(さんとうきょうでん・1761~1816)は粋な作風で黄表紙・洒落本・読本他を書いた戯作者です。北尾重政門下で北尾政演の画名を持つ浮世絵師でもあったため、浮世絵や多くの絵入文章を書き、好評を博しました。
その京伝が興味を持った米饅頭(よねまんじゅう)とは延宝~元禄年間(1673~1703)頃江戸浅草の待乳山聖天宮門前で売られ、流行った饅頭です。鶴屋、麓屋などの店が名高く、随筆・狂歌にも名物として取り上げられ、店がなくなった後も、文人達に興味をもたれ、その始まりや名前の由来について語られました。鶴屋の娘およねが始めたから米饅頭の名がついたとする説、材料が米であるから従来の小麦粉の饅頭と区別するため米饅頭といった説、よねは女郎の意味であるという説、また娘の名はおよねでなくお千代であるとした説などがありました。

米饅頭にまつわる著作

京伝は作家として売り出した20歳の時、鶴屋のおよね説を脚色して『米饅頭始』(1780)という本を書きました。町人の幸吉が腰元およねと仲良くなり、駆け落ちし、2人で苦労をしますが最後には父親に貰ったお金で、待乳山のふもとに鶴屋の屋号で店を出し、饅頭を売り出す話です。
作中のおよねは、その頃京伝が通い知った吉原の遊女をモデルにしたことも想像されます。自らの姿を幸吉に重ね、将来を夢見たのかもしれません。10年後、京伝は遊女菊園(前述の遊女とは別人か)と結婚し、その3年後に煙草入を売る店を開いています。
晩年の京伝は戯作から離れて事物の考証に没頭したようですが、その成果『骨董集(こっとうしゅう)』(1813~1815)でも米饅頭について言及しています。ここでは、延宝6年(1678)版の絵本の辻売りの図を引き合いに出し、世に広まっている鶴屋のおよね説に疑問を呈しています。
京伝は浅草並木町に短期間、落雁の店を出したこともあり、菓子好きとも思われますが、噂に聞いたことしかない米饅頭のどこに一番惹かれていたのでしょうか。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記「歴史上の人物と和菓子」内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。

著作権について


トップへ戻る