歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2003.05.16

千利休とふの焼

千利休と豊臣秀吉

千利休(1522~91)といえば侘び茶の大成者としてあまりにも有名です。大坂堺の商人の家に生まれた利休は、早くから茶の湯の道に入り、23歳頃には茶人として知られるようになっています。その後、織田信長ついで豊臣秀吉に茶頭として仕えました。
豊臣秀吉とともに禁裏茶会や北野大茶湯を催すなど、茶の湯の第一人者となっています。また、秀吉の側近のひとりとして、政治向きの重要な相談にも関わっていました。しかし、天正19年(1591)2月28日には、その秀吉より死を命じられ切腹しています。この原因については、古くから諸説ありありますが、石田三成等との対立によるとも言われています。

利休の好み菓子

死の前年にあたる天正18年8月から翌19年閏正月までの間、利休は頻繁に茶会を行っています。その茶会の多くは『利休百会記』に記されていますが、88回中68回の茶会に「ふの焼」という菓子が使われています。
当時の菓子は、「昆布」や「栗」や「饅頭」など素朴なものが多いのですが、「ふの焼」の使用回数はぬきんでています。そこから後世、「ふの焼」が利休好みの菓子と言われるようになりました。

ふの焼の作り方

「ふの焼」の製法は色々あったようです。良く知られているのは、小麦粉を水で溶いて平鍋に入れて薄く焼き、味噌を塗って丸めという作り方です。また味噌の替わりに刻んだくるみ・山椒味噌・白砂糖・ケシをいれたものもあります。
虎屋の記録によると、寛政5年(1793)5月、後桜町上皇御所へお届けした「ふの焼」には御膳餡を入れて巻いています。また、かつての江戸麹町三丁目の名物「助惣焼」は、小麦粉生地で、餡を四角く包んだもので、「助惣ふの焼」とも呼ばれていました。千利休が好んだ「ふの焼」も時代とともに様々に変化していったようです。
ホットプレートでも簡単に作れそうな「ふの焼」を一度おためしください。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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