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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2003.01.16

平賀源内と和三盆糖

挿絵『物類品隲』より

多趣多芸な発明家

平賀源内(1728~1779)は、四国の高松藩志度浦の生まれです。足軽相当の身分でしたが、藩主松平頼恭に登用され、薬草園の仕事に就きます。25歳頃の1年の長崎遊学後、藩を退き、大坂を経て江戸に出ます。それからは、未曾有の大規模な物産会を計画実行する、戯作・歌舞伎の脚本を書く、エレキテル(摩擦により静電気をおこす機械)・石綿から作った耐火織物である火浣布(かかんふ)を作る、鉱山の開発をする、油絵を描く等々実にさまざまな方面にかかわり、世間をあっと驚かせながら活躍します。しかし、40歳を越した頃から仕事がはかどらなくなり、不運なことに52歳の時、人を殺傷したかどで獄中に入れられ、そこで死亡します。その才気を惜しみ、死を悼む声は多かったようです。

和三盆糖とのかかわり

江戸時代中期、白砂糖はオランダ・中国との貿易による輸入品が大半でした。八代将軍吉宗が砂糖の国産化を進める政策をとり、各地の本草学者や医師、篤農家達が中国の砂糖 に並ぶものを作ろうとしましたが、国内の需要をまかなうには質・量共に程遠い状況でし た。
そういった流れの中で、源内は砂糖に関する本を著しています。各地の珍しい物産をま とめた本、『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)に収録された『甘庶培養並ニ製造ノ法』 がそれです。この本にはサトウキビ栽培と砂糖の製造法が書かれています。『天工開物』(宗応星1637)他数冊の中国の書物を参考にし、抜粋したもので、原典を平易にして紹介しています。砂糖の製 法書の多くが刊行されず、写本として伝わったのに対し、この本は版本で、何度も版を変えて出版され、広く読まれました。
多くの試行錯誤を経て、やがて国産砂糖の商品化は成功します。日本で作った上質の白砂糖を和三盆糖と呼びますが、源内の故郷、高松藩讃岐地方は産地として、名高くなってゆきます。
和三盆糖は現在でも香川・徳島で作られています。薄い茶褐色で湿り気があって柔らかく、上品な甘味が好まれて、干菓子などに使われています。この砂糖が完成するまでに多才な発明家、源内も一役買っていたのです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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