歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2001.05.01

紀貫之と「まがり」

まがり

京名物・まがり

平安時代に、紀貫之 (きのつらゆき・?~945) が任地土佐から京に帰る時の見聞を記した『土佐 (左) 日記』。あえて女性の文字とみなされていた仮名で記し、自身の心情を豊かに表現したことは、その後の文学に大きな影響を与えたといえましょう。

このような古典文学にも、菓子は登場します。貫之が京へ帰る途中、山崎あたりの店頭風景が綴られている中で「まがりのおほぢのかた (像)」とあります。これは「まがりと書いてある看板」と解釈され (他説あり)、当時もてはやされた唐菓子のひとつ「まがり」が、人々に売られていたことを思わせる一文となっています。

『土佐日記』が書かれた当時、「菓子」といえば木の実や果物を指しました。これに対し、遣唐使などによって中国からもたらされた唐菓子の多くは、米や麦の粉をこねて形作り、油で揚げたもので、さまざまな種類がありました。ただ伝来当時の絵図や詳しい製法を記した史料がないため、実体のわからないものもあります。

「まがり」は平安時代の漢和辞書『和名類聚抄 (わみょうるいじゅうしょう)』に、「形は藤葛 (ふじかづら) の如きものなり」とあり、生地を草木の蔓のように曲げて作ったことが想像されます。唐菓子の多くは、節会や官吏登用の際の饗応で用いられましたが、なかには平安京の東西の市で売られたり、庶民向けにつくられたものもあったようです。紀貫之も「まがり」の看板を見て、京がいよいよ近づいたのを感じたのでしょうか。

鎌倉時代以降、どういうわけか次第に唐菓子は作られなくなりました。現在は奈良の春日大社、京都の下鴨神社など各地の神社や寺院で、その一部が神饌や供饌 (ぐせん) として伝わっています。また珍しい例ですが、郷土料理として知られる山梨県の「ほうとう」も、もとは唐菓子で、姿を変えて身近なところで息づいているものもあるようです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

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