歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2022.05.25

鷹見泉石と嘉定の饅頭・羊羹

嘉定の菓子 左頁上からきんとん、あこや、右頁が寄水、饅頭。『嘉定私記』より

肖像画の白眉、渡辺崋山筆「鷹見泉石像」

幕末の開国論に大きな影響を与えた蘭学者、鷹見泉石(たかみせんせき・1785~1858)は、国宝「鷹見泉石像」(東京国立博物館蔵)により、事績以上にその容姿がよく知られているのではないでしょうか。泉石は下総古河藩(茨城県)土井家の家臣で、老中にもなった2人の藩主、利厚・利位(としつら)に仕えて幕政にも関わった、有能な政治家です。蘭学に傾倒したのも、主君の利厚のもとロシア使節レザノフへの対応を担当したことがきっかけでした。

嘉定の菓子の福分け

弱冠20歳でロシア使節の対応にあたった泉石は、過去の記録が残されていなかったことで苦労したこともあり、藩の施策や公務の付き合いから、蘭学仲間の集まり、日々の物品のやりとりに至るまで、詳細に日記に書いています。
その中には「巻煎餅」「金平糖」「唐饅頭」など多くの菓子の名が見えますが、気になるのは、菓子を食べて厄除招福を願う6月16日の「嘉定(嘉祥)」の記述です。毎年大名・旗本が登城して将軍から菓子を頂戴しますが、泉石は土井家の殿様がもらってきた菓子を、例年福分けとして拝領していたようです。
注目したいのは天保14年(1843)と考えられる記事。この年は登城の翌日、17日に「昨日御拝領之御菓子饅頭羊羹餅」がそれぞれに熨斗と桧葉を添えて下賜されたとあります。

老中は特別?

江戸幕府の嘉定では、饅頭・羊羹を含む8種類の菓子が用意されますが、1つの折敷に1種類と決まっているので(写真参照)、1人1種類しかもらえません。目当ての菓子がもらえなかったことで、一騒動起きた大名家もあるほどです
では、なぜ土井家では「饅頭羊羹餅」※1と複数の種類をもらえたのでしょうか。実は老中などの役人には、嘉定の儀礼を進行する役目があり、式が済んだ後に菓子をもらうことになっていたようです※2。
ここからは想像ですが、江戸時代後期の嘉定は欠席者も多く用意した分が全て配られた訳ではないので、老中などの役人は残った菓子から好きなように選べたのではないでしょうか。大名・旗本をあわせ数百人が菓子を受けとって引き上げていく様を見送ってきたのですから、このくらいの役得はあってもよさそうな気がします。
福分けとはいえ、「将軍様」から拝領した饅頭や羊羹はやはり格別だったことでしょう。博識な泉石のことですから、老中を務めた土井家の特別扱いを知っていて、ちょっとした優越感に浸っていたのかもしれません。

※1 饅頭・羊羹のほか、鶉焼き、きんとん、あこやといった餅菓子を含めた3種類だった可能性もある。
※2 「直勤留」(朝尾直弘編『譜代大名井伊家の儀礼』彦根城博物館 2004年所収)

参考文献:

古河歴史博物館編『鷹見泉石日記』第1巻~第8巻 吉川弘文館 2001~2004年
片桐一男『鷹見泉石-開国を見通した蘭学家老』中央公論新社 2019年

相田文三「江戸幕府嘉定儀礼の「着座」について」『和菓子』25号 2018年

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