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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2014.05.16

澤村田之助(二代目)とみめより

歌川広重「太平喜餅酒多多買」(1843~1846年)部分
江戸時代、庶民が楽しんだ菓子などを擬人化した浮世絵
手前が丸形の金鍔、後方が四角いみめより

夭折の女形

江戸時代後期に活躍した二代目澤村田之助(さわむらたのすけ・1788~1817)は京都生まれの歌舞伎役者です。役者である父を早くに亡くし、下積みの苦労を味わいましたが、際立った美貌を武器に女形舞踊の大曲「娘道成寺」で頭角を現わしました。京坂での活躍にとどまらず、江戸でも評判を集めましたが、不幸にして29歳の若さで亡くなりました。

「陸奥山に梅忠がさく」の正体は?

人気役者となり江戸に下った年の翌年、文化6年(1809)に市村座で初演されたのが鶴屋南北作の「貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか)」。その一場面に、田之助扮する女商人が、何を商っているのか尋ねられ、「陸奥山(みちのくやま)に梅忠(うめただ)がさく」と謎をかけるくだりがあります。陸奥山は、『万葉集』の「すめろぎの御代栄えむとあずまなる陸奥山にこがね花咲く」(大伴家持)から「金」。梅忠は、桃山時代の刀工・鍔工の埋忠明寿(うめただみょうじゅ)から「鍔」。つまり答えは菓子の金鍔(きんつば)です。謎が解けたのち、女商人は舞を所望され、おかめの面をつけ「みめより」という長唄で踊ります。

金鍔とみめより

この長唄、題名は「人はみめよりただ心」(顔の美しさより心の美しさが大切の意)という諺にちなんだものですが、実は、同名の菓子を宣伝しています。
「みめより」とは、四角い金鍔の元祖とされる菓子。当時、すでに金鍔はあったのですが、その名の通り、刀の鍔をかたどった丸形でした。「みめより」は、これを四角にし、「皮を薄く餡をよろしく」したものでした(『嬉遊笑覧』)。見た目は地味ながら味がいいという特徴を諺に掛けたうまいネーミングですね。
この菓子を考案した浅草・南馬道(みなみうまみち)の菓子屋の主人が田之助の贔屓で、長唄を作らせたともいわれ、唄にも「ふうみ(風味)馬道、召せやれ、いへつと(=土産)によい」と同店のことが織り込まれています。当時の人々は、金鍔売りが「みめより」を踊るという趣向から、すぐに菓子を連想し、にやりとしたことでしょう。
庶民の芸能であった歌舞伎は、宣伝広告の役割も担っており、流行物や新商品が台詞などに登場することもしばしばありました。評判の美しい女形の踊りは、人気タレントを使ったCMといったところでしょうか。田之助の贔屓たちがこぞって「みめより」を買い求める姿が想像されます。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

 

参考文献:

廣末保編『鶴屋南北全集』第2巻 三一書房 1971年
浅川玉兎『長唄名曲要説』補遺篇 日本音楽社 1979年
喜多村いん(註:いんは竹冠に均という文字)庭『嬉遊笑覧』(四)岩波書店 2005年

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