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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2010.09.16

高杉晋作と「越乃雪」

越乃雪

幕末の志士

幕末の倒幕運動に身を投じた志士として、坂本龍馬に勝るとも劣らない人気を誇る高杉晋作(たかすぎしんさく・1839~67)。長州藩士として萩(山口県)に生まれ、農民など庶民が参加した軍隊、奇兵隊の創設者として知られます。また、4度の脱藩を繰り返し、破天荒な行動が目立つ一方、戦場にも携帯用の三味線を持って行くなど、洒脱な一面もありました。対幕府戦争の最中、肺の病に冒され、下関に戻り静養中。惜しくも慶応3年(1867)4月14日、明治の世を目前に、29歳でこの世を去りました。

末期(まつご)の雪見

慶応2年7月頃から体調を崩した晋作は、翌年に入るとかなり病状が悪化し、本人も回復の見込みがないことを感じていたようです。
奇兵隊の一員として晋作の薫陶を受けた三浦梧楼(みうらごろう)は、臨終の10日程前に晋作を見舞った際のことを以下のように回想しています。

其中フト傍(かたわら)を見ると、小さい松の盆栽があつて、其の上に何か白いものを一パイ振りかけてあるから、これは何んですかと聞くと、イヤ俺はもう今年の雪見は出来ないから、此の間硯海堂が見舞に呉(く)れた「越の雪」を松にふりかけて、雪見の名残をやつて居る所さと微笑された。
(三浦梧楼「天下第一人」『日本及日本人』677号 1916年4月)

「越の雪」というのは、もち米の粉と和三盆糖を固めて作る、長岡(新潟県)の越乃雪のことでしょう。口どけのよい菓子で、少し力を加えれば崩れるので、粉状にして松にかけ、雪に見立てたと考えられます。

長岡銘菓「越乃雪」

越乃雪は、安永7年(1778)、当時の長岡藩主牧野忠精(まきのただきよ)が病に臥せった際に考案、献上されたのがはじまりといいます。その後病が治ったことを喜んだ忠精が、「越乃雪」と名づけたとされます。 幕末には江戸や京都、大坂でも知られる銘菓となっていたようです。
藩主の病が治ったとの由来を知って、療養中の晋作のため、知人が越乃雪を取り寄せたのかも知れません。しかし、当の本人は覚悟を決めていたのでしょう。菓子で最後の雪見を楽しんだというのは、いかにも洒落者の晋作らしいエピソードといえるでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

写真提供:

株式会社 越乃雪本舗大和屋

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