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長宗我部元親と砂糖の贈り物

掲載日2012年5月16日
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』(1713)の
砂糖(黒砂糖)の項目の図。
四国統一を目指した戦国大名

長宗我部元親(ちょうそがべもとちか・1538〜99)は、土佐国(高知県)の戦国大名、長宗我部国親の嫡男として生まれました。幼少期は「姫若子(ひめわこ)」と言われるほど柔和な性格を父に心配されたそうですが、永禄3年(1560)に家督を継ぐと、天正3年(1575)土佐一国を統一し、四国全域に支配領域を広げていきました。領国経営や家臣団統制にも心を砕き、「長宗我部元親百箇条」を定めたことでも知られます。  


砂糖の贈り物

天正8年、元親は、畿内近国(近畿地方)をほぼ手中に収めていた織田信長へ、砂糖3,000斤(約1800s)を贈りました(『信長公記』)。この時代はまだ砂糖が貴重な輸入品だったため、桁外れともいえる贈り物です。元親はなぜここまでして信長の歓心を買おうとしたのでしょうか。
元親と信長は、以前から友好関係にありました。しかし、当時元親の攻勢に晒された阿波(徳島県)・讃岐(香川県)の領主三好氏が信長に保護を求めていました。
三好氏が信長の傘下に入れば、阿波・讃岐には手を出せなくなる。四国統一を目指す元親にとって、信長が三好氏側に付くことはなんとしても避けたかったはずです。信長との関係が微妙になっていることをわかっていたからこそ、大きな出費もいとわなかったのでしょう。
しかし、砂糖の贈り物は信長の心を動かすにはいたらなかったのか、天正9年頃には信長は三好氏を保護して、元親と対立するようになります。


本能寺の変に救われる

信長は元親に阿波・讃岐から手を引くようにと要求するも拒絶され、天正10年4〜5月頃には、元親討伐のための四国遠征軍を大坂に集結させました。
ところが同年6月、本能寺の変で信長が倒れたため、四国遠征は頓挫します。信長を討ち、結果的に元親の窮地を救うこととなったのが明智光秀。彼は長宗我部氏との縁が深く、信長の下で元親との交渉を行なっていたため、天正8年に砂糖が贈られた際も取次役(主君に進物を披露する役)を務めています。長宗我部氏討伐を巡って主君信長と対立して面目を失い、織田家中での影響力を失ったことも、本能寺の変の動機のひとつと考えられています。通常取次役には別途進物が用意されるので、光秀にも砂糖が贈られたのかも知れません。
その後、窮地を逃れた元親は阿波・讃岐を手中に収め、天正13年には念願の四国統一を果たすことになります。
ちなみに阿波と讃岐は、江戸時代に甘蔗(サトウキビ)栽培が行なわれることになる地域で、現在も国産の高級砂糖、和三盆糖の産地として知られます。



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