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よかよか飴売りは提灯などを立てた盤台(はんだい)を頭に載せ、飴を売って歌や踊りを見せました。「よかよか飴」とは「良い飴」を意味するともいわれます。『こしかたの記』では飴について触れていませんが、晒(さら)し飴のようなものだったと思われます。
清方がよかよか飴売りを見たのは、子どもの頃住んでいた京橋の大根河岸(※)でした。当時は東京の町はずれであればどこでも見られたようで「ぞろぞろ子供や守(もり)っ子が附いて歩く一組を見かけぬ日は稀れであった。よかよか飴の後(あと)を追って迷子になったり、子守娘がそのまま帰って来ないなどの噂はたびたび聞えた。」などと書いています。迷子や行方知れずとは困った話ですが、それだけたくさんの子どもが飴売りについていったということなのでしょう。
大根河岸のよかよか飴売りは、名優で美男だった歌舞伎の五代目坂東彦三郎に似ていた、と清方は書いています。飴のおいしさはもちろんですが、飴売りの演技や容姿が買い手の心を掴む上で大事だったということがうかがえます。
※かつて京橋川(現在は埋め立てられている)にあった青物市場のこと。現中央区京橋から八重洲付近。
参考:鏑木清方『こしかたの記』(中央公論社 2008年)
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