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武野紹鴎(たけのじょうおう:1502-1555)は大黒庵と号し、実家は皮屋という屋号を名乗った武器商人だったといわれています。武野家は堺で富裕な家として知られ、若き日の紹鴎は京都にのぼり、歌学の権威であった三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に学び、連歌に没頭しました。また同時期に茶の湯も学んでいます。一説には近所の村田宗珠(そうしゅ)について侘び茶を学んだともいわれています。とはいえ若い頃の紹鴎は、侘び茶とは程遠く、財力に任せ、唐物などの名物道具を買い集め、茶の湯を楽しんでいました。
丁度、30歳の頃、紹鴎は奈良の漆商の松屋久政を訪ね、名物の唐絵を拝見した帰りに、連歌の影響を受け、枯淡の境地に興味を持ったのか、伝手を頼って、侘び茶人として知られた宗清(そうせい)を訪ねました。宗清は毎朝、畑仕事の後、身を清め、好みの素朴な器で茶の湯を楽しんでいました。誰彼となく、訪ねるものに隔てなく茶を振舞うことから、人々から心の清い侘びた茶人として慕われていました。
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