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明治42(1909)年の夏、「函館日日新聞」に連載した文章には、当時住んでいた東京・本郷の氷屋が登場します。
かき氷が爆発的に広まったのは、西洋から製氷技術がもたらされた明治時代のこと。冷たくおいしい日本の夏の風物詩として人気を博し、この頃にはすっかり庶民に定着していました。
ある日、啄木が2階の窓から外を眺めていると、「氷屋の旗(フラフ)」が目にとまります。数日前まで加賀屋という一膳飯屋(いちぜんめしや)だった向かいの家が、ガラス管をつないだ涼しげな管暖簾(くだのれん)のかかった氷屋に変身したのです。当時の東京では、冬は焼芋やおでんなどを商い、夏になると氷屋になる店が珍しくありませんでした。
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