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益田克徳(こくとく1852〜1903)は三井財閥の総帥・益田孝の4歳下の次弟にあたります。彼は司法省勤務の後、海外で学んだ保険業界の知識を活かし、
東京海上保険会社(現東京海上日動)の創設に関わり、支配人として経営にあたりました。この他、東京帽子会社(現オーベックス)をはじめ数社の経営にも関わる実業家でした。
しかし仕事以上にお茶に熱心で、毎朝出社したものの、会社を素通りし、道具屋に立ち寄るのが日課だったそうです。兄の孝(鈍翁)、弟の英作(紅艶)をはじめ、
渋沢栄一、馬越恭平(化生)、近藤廉平(其日庵・きじつあん)、高橋義雄(箒庵)など多くの実業家たちをこの世界に導き入れ、彼らの茶道観に大きな影響を与えています。
彼は不白流の川上宗順へ弟子入りし、のちに非黙(ひもく)と号します。宗順指導の下、高価な道具を使うのではなく、安価なものの中から自分の好みを見出し、
独自の美意識を高めていきました。52歳での突然死により、残された茶会記などはあまりありません。非黙を知る人たちの証言では、彼の茶の湯は道具の収集内容や、
自作の茶碗「翁さび」「不出来」の風情、茶庭・茶室の作意から「益田流大侘び茶の湯」と評されています。
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