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日記には日々の食事のことも書かれており、貰った魚を味噌煮にしたり、糠味噌の漬け方を村の人に教えたりと、料理が得意だった様子がうかがえます。
菓子の記載も思いがけないほど度々見られます。小宿に住み始めた当初、毎日のように菓子を持ってきてくれることに対して、元からそうした風習のある村なのか、自分のためにわざわざ用意してくれているのかわからない、と困惑気味に記しているほどです。
また、左源太自身、型菓子(落雁のように木型で作った菓子)や団子などの菓子も作っており、来客に何度か出しているものに葛煉りがあります。これは一般には葛粉に水と砂糖を加えて火にかけ煉ったものですが、面白いのは、葛素麺をご馳走しようと思って作ってみたが、うまくいかずに葛煉りになってしまった、という記述があることです。江戸時代の料理書によれば、葛素麺は葛粉をお湯で溶き、熱湯に流し入れて細く固めたものです。うまく素麺状にならずに全部が固まってしまったのでしょうか。火にかけて固めた葛の生地を薄く延ばして、細く切ろうと試みたのかもしれません。熱くて弾力のある葛に手を焼く姿が目に浮かぶようです。
*参考資料『南西諸島史料集』第2巻 南方新社 2008年
今村規子『名越左源太の見た幕末奄美の食と菓子』南方新社 2010年
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