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京都滞在中の天正19年2月25日、奥州に送った書状の中で政宗は、長政のお陰で状況が良くなっていると礼を述べた後、「さてゝゝ約束申候せんべい者(は)、はや参候や、御き(気)にあい申候や、御ゆかしく候、ゝゝゝゝ」と書き添えています。
長政から煎餅を手配するよう依頼されたのでしょうか。「約束の煎餅はもう届いたか、気に入ってくれたのか、気になってしようがない」との内容は、竜と称された強面の政宗とは異なる印象です。
煎餅は戦国時代の公家の日記や茶会記にもその名が見え、千利休が秀吉を招いた茶会でも出されたといいます(『利休百会記』)。当時の煎餅には不明な点もありますが、江戸時代の初めに京都六条の名物としても知られた煎餅は、へぎ餅(餅を薄く切って乾燥させたもの)の類だったとのこと。焼くときにあちこちふくれあがって鬼の顔のようになることから、鬼煎餅とも呼ばれたそうです(『雍州府志』)。また、後の『和漢三才図会』(1712)には小麦粉に糖蜜を加えた生地を、鉄の型に挟んで焼くとの製法が見えます。
一口に煎餅といってもいろいろあったはず。長政のために政宗が手配した「約束の煎餅」とはどのようなものだったのでしょうか。気になるところです。
参考文献:『仙台市史 資料編10・11』・小林清治『伊達政宗』吉川弘文館
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