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能登島流刑の約4か月の間、彼は日々の生活をイラスト風の絵を交えて日記に記したり、頻繁に家族へ手紙を送ったりしています。政治的な理由での流罪だったため、監視される身とはいえ、来客を迎え、村人と交流するなどの自由が許されていました。飲食が何よりの楽しみ、そして慰めでもあったようで、日記には食事の献立、味の感想なども見えます。菓子についての記述も多く、金沢の知人がカステラや落雁を送ってくれたり、来客が饅頭やうずら餅などを土産に持ってきたりしたことがわかります。「アマミ薄し」「む(う)まく御座候」など、時折見える感想がほほえましいもの。自身でも葛餅、かい餅や団子を作っているところをみると、菓子の類は好物だったのでしょう。煎餅を火鉢で焼くところなどは、「醤由(油)を付 順ニあふらせ被下候、中々宜く、至而上品なかきもちのさと(砂糖)醤由(油)やきの様ニ而…」と香ばしいにおいが漂ってきそうです。
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